我の呼ばれたし名は...
2005年2月15日
「禍」は、そこに居るだけで周囲に居る人たちの気持ちを乱し、眠りを妨げ、疫を広めてしまう。
「禍」は、普通の人には見ることも触る事もできないのだけども、確実に傍らの者たちに己の種を植え付けtしまう。
やがて「禍」の種は、人の体の中で芽吹き、その人を「禍」にして増え広がっていく。
自分が他人から見えない「禍」になってしまっている事に気がつく人は少ないが、全く居ないわけでもない。
古来より、人々の信仰の場において「禍」を払う場所と言うのが、あちこちにあるのがその証拠。
されど「禍」は災いである事が、存在理由であり存在するものは、存在し続け、増え拡がる事を目的とするのが此の世の理。
「禍」も人の暮らしとともに、その姿かたちを変え在り続けてきた。
人の中には、「禍」を祓うことのできるものも居る、例えば場所の力を借りたり、己自身もしくは同じ人の力を借りる事・自分よりも強い力を信じたりする事で、自分の体の中の根っこを枯らしてしまう事で別の人に成り代わると言う方法で。
人が、かく在りたくないという想いが寄り固まって生まれたものが「禍」だから、その名前は人が付けたものだから、名は態を表し言葉は名を操る道具だから、人は「禍」をも自在に操る事ができるはず。
自分自身の存在を完全に否定する事ができるのは自分の心だけなのだけれども、「禍」を持つ人たちは己が増えることに余念がなく、免疫のない者達をさまざまな方法で取り込んでいき、同じ色に染まらぬものこそを「禍」にとっての災いであると謗り妬み祟る事で、心の在り様を危ういものとさせる。さまざまな誘惑の、敢えて言葉にしない思いを使い...例えば、己の肉体を痛めつける断罪の思い(苦痛を開放の快楽とすりかえる事)やさらに狭い・暗い場所へと追い込む事で。
だから人は常に「禍」とともにあり、「禍」をその身に住まわせないものは、既に人ではないのかもしれない。
だから人の暮らしを望むものは、必ず「禍」を飼いならす事を他人からあるいは「禍」とともにある人々から受け継ぐ事となる。
また、それは「禍」も同様、場所を持たない「禍」は、その存在の意味を持つ事ができないから。
さて、
私は、たぶん誰かに既に祓われてしまった「禍」なのだろう。
「禍」にとっても災いであり、かと言って人にとってはそこに居るだけで災いでしかない。
心地の良い言葉、耳障りな言葉、聞こえない言葉を組上げ繰り出し、人を惑わせる。
どこにでも居たいと想うし、どこにも居られないか...なまじっか考えう事を覚えてしまった「禍」などというものは。
「禍」は、普通の人には見ることも触る事もできないのだけども、確実に傍らの者たちに己の種を植え付けtしまう。
やがて「禍」の種は、人の体の中で芽吹き、その人を「禍」にして増え広がっていく。
自分が他人から見えない「禍」になってしまっている事に気がつく人は少ないが、全く居ないわけでもない。
古来より、人々の信仰の場において「禍」を払う場所と言うのが、あちこちにあるのがその証拠。
されど「禍」は災いである事が、存在理由であり存在するものは、存在し続け、増え拡がる事を目的とするのが此の世の理。
「禍」も人の暮らしとともに、その姿かたちを変え在り続けてきた。
人の中には、「禍」を祓うことのできるものも居る、例えば場所の力を借りたり、己自身もしくは同じ人の力を借りる事・自分よりも強い力を信じたりする事で、自分の体の中の根っこを枯らしてしまう事で別の人に成り代わると言う方法で。
人が、かく在りたくないという想いが寄り固まって生まれたものが「禍」だから、その名前は人が付けたものだから、名は態を表し言葉は名を操る道具だから、人は「禍」をも自在に操る事ができるはず。
自分自身の存在を完全に否定する事ができるのは自分の心だけなのだけれども、「禍」を持つ人たちは己が増えることに余念がなく、免疫のない者達をさまざまな方法で取り込んでいき、同じ色に染まらぬものこそを「禍」にとっての災いであると謗り妬み祟る事で、心の在り様を危ういものとさせる。さまざまな誘惑の、敢えて言葉にしない思いを使い...例えば、己の肉体を痛めつける断罪の思い(苦痛を開放の快楽とすりかえる事)やさらに狭い・暗い場所へと追い込む事で。
だから人は常に「禍」とともにあり、「禍」をその身に住まわせないものは、既に人ではないのかもしれない。
だから人の暮らしを望むものは、必ず「禍」を飼いならす事を他人からあるいは「禍」とともにある人々から受け継ぐ事となる。
また、それは「禍」も同様、場所を持たない「禍」は、その存在の意味を持つ事ができないから。
さて、
私は、たぶん誰かに既に祓われてしまった「禍」なのだろう。
「禍」にとっても災いであり、かと言って人にとってはそこに居るだけで災いでしかない。
心地の良い言葉、耳障りな言葉、聞こえない言葉を組上げ繰り出し、人を惑わせる。
どこにでも居たいと想うし、どこにも居られないか...なまじっか考えう事を覚えてしまった「禍」などというものは。
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