不如帰

2005年3月31日
高橋洋子 及川眠子 大森俊之 CD キングレコード 1997/02/21 ¥1,020魂のルフラン(高橋洋子)

魂の還る所かぁ...少なくとも「私を埋める場所など、何処にも無い」から、骸の方は朽ちるに任せるしかないとしても、現在こうやって考えて(ひょっとしたら、それすらも刺激と反射の積み重ね、タイムラグから乗じる誤差に過ぎないのかもしれないけども)いる「私」は、どうなるんだろうね。
少なくとも本当に蘇った人とお話をしたことがないので(判断のしようが無い事の一つで、そうだと言い切られてしまえば...はぁ、と頷くしか無いんだけどもね。それぞれの教義と原典となる書物・口承を含めても)状態の変化(生きてる?死んでる?)の前後の差異は、いくら普段、輪っかの外側から見てるだけだと強がってみても実際問題としては、構成パーツの一つにしか過ぎないんだから(どこまでいってもヒトは、ヒトということで...流石に、現行のコンピュータないしそのお友達には、ここまで無意味な冗長性を付加させる事は難しいだろうから...つか、そんなパワーがあるのならば、やっぱりもっと有意義な事に使って欲しいし...えぇ〜っと、つまり、これを記しているのは「人工無脳」ではなくて、ただの「おやぢ」だという事です)自分で妄想しているだけなんだけどもね(まだまだ柵も、それなりのお楽しみも、たぁ〜っぷりと抱えている...筈だから♪)

まずは、無くなるんだろうな、やっぱり。
そして、誰かの記憶の中に残された残響・残像などが再生される頻度が減っていき...その誰かも、やがて消えてしまって無くなる。
それとは別に、此処のように(書籍やら映像やら創作物やらも含めて)何かのメディア上に記録として残されるものも、また、ソレに触れて鏡像を喚起されて(必ずしもオリジナルでないにせよ、一部ないし不完全な形であれ)やがて風化して、壊されて...無くなるんだろうなぁ。

既に自分自身が残像として抱え込んでしまっているイメージも(それなりのボリュームはあるかと思うんだけども)宿主とともに消える訳だねぇ。
自分自身のことなんざぁ、端からどうでもよいんだけども(笑)抱え込んだ者達も一緒に巻き添えにしてしまうのは、ちょっとだけ気が引ける...そういう風に感じる事自体が己の傲慢さの表れなんだとも思うけれども(^_^;)
でもまぁ、それもこれも「縁」って事として、しまって置くしかない「お話」なんだろうねぇ。

ちなみに、ウチの血族たちも流石に、その辺り(リアルナ私の言動)は理解したようで自分達の血統の分だけは「永代供養」の場所を購入したらしいけども(笑)
そんな事しても、只の記号(名前)を機械的に唱えられるだけのお話で(聞く所によると、それすらも怪しいケースが多いらしいし)、「無くなって」からの事を「無い」者が、どうやって関われるんだ??
ないし、どうしたいんだろう?喜捨やポトラッチの一種だと思わないと納得できないんだけどねぇ。

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kaj

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