善哉

2005年6月22日
善哉
たぶん成文化された法律ってのは基本的にヒトの善性に依存している部分が多いんだろうなと思ってしまう、だから欲望に忠実な「普通」で当たり前な「人間らしい」者ほど、抜け道を潜り抜けようとするし、やらかしてきた。
たかだか千年単位ぐらいの時間でヒトの本性が変わるわけも無く「善」なるか、そう在らざるかは、常に相対的な(ただの流行歌みたいなもの...元ネタわかります?)趣味もしくは主義あるいは宗教によって規定され続けてるんじゃないかなぁ(^_^;)
まぁ可能な限りは、周囲から少しずつでも同じ想いを気持ちの片隅にでも引っ掛けていられるならば、それに越したことはないし、無揖と言う事は「在り」得ないのだから盲信するするだけではなく誤りを認められる「余裕」のある(修整を行なう事で「群れ」への帰属を継続・継承できる)暮らし方をしたいものだとは思ってる、勿論♪
水面に落ちた雨粒によって広がる波紋のように、ゆっくりとでも良いから「調和」していけるのならば、それが一番(初めから同じ「水」だから可能な状況に過ぎないのかもしれないけども)楽だよなぁ。

...ただし、これは生き物の一種類に過ぎないヒトの視点からのお話。
ヒトも生き物の三原則からは逃れられる訳が無いわけで(霊長類とは...凄まじい言葉だよなぁ...大笑)本能的に己の種を保存し勢力を拡大しようとする「業」は、きっちりと抱え込んでるわけで(現行種でヒトの認識できる範疇の生物の中では、確かに小器用で小細工もするし、他の種への直接的な干渉も自在にできる...多分ね)そのための道具であったり、哲学であったりするんじゃないかなとも思えてしまう(ソレに則って...う〜ん絶滅させた種ってのは一体、どれほどの数になるんだろう??)

どうにも超越者の割には、けち臭い奴だったようで絶対量の総和ってのは常に一致していなきゃいけないらしい(時間軸を含めてね)所謂「エントロピーの死」って状態への遷移段階にしかいない限りにおいては、致し方無い事なんだけどもね(笑)

なら「お前は、どうよ?」って問われたならば...最も幸いな事には、生き物である限り、そんな腹の足しにならない事は無視できる・隠蔽できる・覚えていられない都合の良い「頭」しか持ってないので「普通」に欲望に快楽に忠実に生きたいなと答えてしまうんだよなぁ、困った事にコレガ。

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kaj

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