戦う事を拒絶するならば大人しく黙ったまま死ねば良いのに...そうすれば無駄な血を流す事も未来に禍根を残す事も無い得られる結果は、むしろ重畳。
流れから外れるのは、先に行くにしても、そこにとどまり続けるにしろ、それなりの覚悟と力が必要なのは、当然の事なのに敢えて抗うのは如何なる理由と収束点を求めるが故か?
既に「在る」と言う事だけでも十分に「倖」なのに、どうあっても「更に」を求めてしまうのは・足りているにもかかわらず常に飢えているのはヒトだからか、生き物だからか?
観る事、感じる事、思ってしまう事...これらは全て高々144時間で創られた(1サイクル毎に24時間のスリープタイムを必要とする程度の)世界に生きる者の「業」なんだろうかねぇ「情」なんだろうかねぇ。
出たとこ勝負の「運命」に身を委ねるのか、己の力で(傍から見れば単なる足掻きに過ぎなくとも)自分の「居る」場所を拡げていくのか、「選択」が行なわれた瞬間に全ては初まるって事なんだろうけども...そもそも肉切り包丁として生まれついてしまったのならば、何かを切り続けていなければ存在理由など無いわけで、周囲に刻める物が無くなってしまったら己自身に斬りつけるしかない...順番はどうあれ確かに血の色は緋色で黒いしね...おまけに弄り回せば延々と傷口が乾く暇も無くありったけのモノを流し出してしまえる...悪くないよネ♪理解してしまうんだよね、その部分だけは、何時でも、どんなに自分自身と違った姿で異なった時間を共有しているとしてもサ。
ただねぇ...困った事には、どんなに自分の意識に対して命令を下して触れないで置こうとしても、実際には「在る」ものは常に在り続けるんだよねぇ。
で、ならばどうするって事で冒頭の台詞を棒読みする事になるのが、なんともねぇ(^_^;)

木連にとってのゲキガンガーになっちまったら、どうしてくれるんだ(笑)
色々と舞台裏の事情は聞こえて来ないでもないけども、残り2話で、どうオトスんだ、このお話??(流石にガルビオンみたく、映像とは脈絡も無くナレーションだけで逃げるような事はないだろうけども、映画版のイデオンのテロップの後ろでお話を進めてしまうような真似もできないだろうけども)
NTみたいな在り様を求める気持ちは判るんだけども、「種」ってのは単なる「存続」のためだけのものって言う定義だったんだろうか?
小ネタは(突っ込み所も強烈にたくさんありもするけども...笑)それなりに楽しめただけに大団円を迎える事を信じて待つしかない2週間だな。

FictionJunction YUUKA 梶浦由記 CD ビクターエンタテインメント 2005/09/22 ¥1,000焔の扉
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kaj

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