You have Control !!

2005年11月3日
私が、此方に入り浸る理由は幾つも在るのだろうけれども、その中でも一番大きなものの一つは、リアルな柵は「語られない」限りにおいては、存在しないものとして「平等」に無視して振舞っても構わないと考えているからだ。
そもそも、こうして書いている私のリアルにおける「立ち位置」やら「経験値」などは、一度、こうして文字と言うフィルター越しに晒される事により、一切無意味で頓着する必要の無いものとして相殺され、その結果それこそ不自然な「自由」が得られるのだと捉えている。
リアルよりも、ほんの少しだけ(無様な己自身の姿に「言葉」という迷彩を纏う事で)「個」である部分を過剰な情報の海の一部として同化できる場所であり、また、それが今の所、すこぶる心地よかったりする。だから、此方では、私は「書かれた言葉=存在した事象」として捉え、聞きたい言葉には耳を傾け、話したいことだけを話し、見たいものだけを観る...ただ、それだけの事。
誰かの作った場所の一部を借りて、遊んでいると言う条件は常に対等ではないのか?
知らない事、知っている事、聞かないこと、聞きたいこと...そして私の言動から始まる事も在る小波、また別の誰かの言葉により反応してしまった私が無自覚に引き起こす関係性のつながり...その全てをして「面白い」と思うから、此方にも居る。
別の視点で捉えるならば、確かに私は傲慢であり強圧的であり、かつ脆弱で醜悪なものと移る事も在るだろうが、しかしながら、それらの全ては「読んでしまった者」の反射パターンの一つに過ぎないとも考えている。
何かを特別扱いする義理も無ければ、場所を提供してくれている人々以外には何の負債も無いと断言してのけるだけの「覚悟」は、初めから私の中には在る。だからこそ、逆に縁の出来てしまった人々には、その事自体が「在り難い」事だと思い込んでしまっている訳で、私がソレに固執するからと言って、読み手にまで付き合っていただく事を強制したり催促するつもりは、ひとっ欠片も無い...いつ切り捨てられようが、罵声を浴びせられようが、誤解(なのか正解なのかは私には、判断できないのだけども)されようが、一向に構わない。
此方は、リアルの一部でありながらも、本当にほんの少しだけ私が「私」を放し飼いに出来る場所であると同時に、他の「言葉」の群れ集う混沌なのだから。

つまり、此方での私の在り様とは、その程度のモノでしかないという「お話」。

コメント

kaj

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

この日記について

日記内を検索