非在

2006年3月15日
白い部屋の中、2枚の合わせ鏡の姿見の間に立った私は呟く。

「私は否定する」

光の届く限りに、繰り返された私の姿が、それを同時に繰り返す。

「私は否定する私を否定する」

「私は否定する私を否定する私を否定する」

「私は否定する私を否定する私を否定する私を否定する」

...キリが無いし意味も無い。

そして、私は、私自身の存在を肯定する論拠を持ち得ない。

だって、私の存在は、観測者である「あなた」のイメージの産物でしかないから。

確かに、こうして言葉を紡いでいる主格たる「私」は、リアルにあると思う。

キーボードを叩き、文字列を推敲している「私」は、確かに居る。

でも、それが、私で在ると言う理由も必然性も私は持つことが出来ない。

「私」も私を観測する者の一人でしかなく、観測される側の「私」には総体であろう私の存在を認識する事ができないから。
また、この文章を、このタイミングで、この形式で、此処に書き連ねるのは、私ではなく他の誰かであっても何の支障もないから

だから、私は私の存在そのものを肯定する事は不可能だという結論に居る。

もちろん、これもある種の妄想・思い込みの一種だし、ひっくり返せば只の言い訳にしか聞こえないかもしれない(...所謂、責任能力の有無って奴かな?)

けどね、全ての責任は私に在ると言う事は譲らない。

曖昧で右手でやってる事を左手は知らないし、気がついたら居間のテーブルの周りの畳は煙草の焼け焦げだらけだったりもするし、ヒトの群れに紛れ込んで頭が痛くて気分が悪くて途中で面倒くさくなり止めを刺し損ねてしまうことも多々あるけども、あなたもしくは私で無い私の存在を観測する「私」を含めた誰かにより「適当」に規定される私のやらかした事の責任は、総て私の受けるべきものであると言う自覚はある。
やらかしてしまうのも、他人の気分を害するのも、自分の気持ち通りに手を動かせないのも、偶々の巡り合わせの外因はあるとしても、それを受容し何らかの反応を示してしまうのも私なのだから。

言い訳なんてしないさぁ〜 事が、私に関るのならばネ♪

...自分でもね、たまぁ〜に自分自身取り回しに困って、持て余し気味でもあるんだけどね。
でも、まぁ、それも含めて、私は私だから(^_^;)

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kaj

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