どちらかと言うと単なる習慣として遣っているかもしれない「ありがとう」って、言葉は。
最初のきっかけは、たぶん餓鬼の頃に見た外国映画の登場人物たちが(字幕では翻訳される事も少なかったと思うけども)至極気軽に、ちょっとしたことに対して使っていて(例えば、ドアを先にたって開けてくれたとか、お店で新しいグラスを出してくれたとか、レジで現金と引き換えに商品を受け取る時とか)なんか、格好良いと思ったから。
まだまだ、この国で実際にやっちまうと、相手の方が驚いた顔をするのが、難だけども、多分、こちらに何の含みも無い事は伝わるのか、一瞬の間の後に、他の客に対するよりも張りの在る声で、「ありがとうございました!」が返って来るみたいだし(笑)
...たぶん、私の真意は伝わってないんだろうな。
その「ありがとう」が私にとっては、本当に遣いたい「在り難い事に巡り合せたという状況に慶ぶ」というものではない事には...まぁ、普通に歳相応に、どちらかというと穏やかに見える振りをしてリアルをやり過ごすには便利な言葉であることには、間違いない「ありがとう」って言葉はね。
でもまぁ、それを望むのは私の我侭。
私と「私」の違い位に、誰にとっても、些細なツマラナイ代物の一つ。
私自身は、一般的には(笑)きっちりと根腐れした性根から生えているし、ぜぇ〜んぶ嘘だよ〜んって言い切れる「嘘吐き」だという自覚が在るから、幾らでも平気な顔して何万回でも唱えられる「ありがとう」ってね♪
でも、之は、多分にユニークな事。
他のヒトの心の中には興味はあるものの、そこに立ち入るだけの根性の持ち合わせも無い私には知るよしも無い事だけども...まぁ、どっちでも善いってことなんだろうな、多分。
私は、私自身を愛さない。
また、世界もヒトも大嫌いだ。
「個」や一瞬の巡り合わせには、驚かされえるほど愛しいと感じさせてくれるモノ達も多々あると言うのに、群れになると、沢山になると、途端に別の物になってしまうから。
リアルな見た目どおりの間抜けな「おやぢ」でしかない私。
そうなってしまった事、それでも、スモーキーマウンテンの住人よりも遥かにお気楽ににべも無い事を、無駄に考える余裕すら持ち合わせていることに、何の恥じらいも疚しさも感じないで居られるキャラクターの一つ。
何処にでも在り、何処にでも居る、しごく「普通」でしかない者。
意味も意義も無い、厚みすらも無い、只の群れの中のヒトでしかない。
幸福な王子に仕えた燕は、幸福だったんだろうか?
...ところで「ありがとう」の対になる言葉が無いのは何故なんだろう?
(あ、「どういたしまして」は、対応のために存在する言葉なので却下ね♪)
何かを拒絶し、切り伏せるための言葉は、数え切れないほどあるし、特別な条件付けをする事も無しに普通に口から出るというのに...
それは、単純に所謂、「善意」と「悪意」の割合に比例しているだけの事なのか?
(まぁ、コレも立ち位置と線の引き方次第で、どうとでもなるような曖昧な代物に過ぎないけれども)それとも、単に、まだ「知らされていない」別の言葉として、どこかに、ちゃぁ〜んとリボンをかけて、最後の贈り物として隠されているんだろうか??
パンドラの解き放った箱の中身は、最初から最後までロクなもんじゃない。
中でも、最後に底に残った「希望」って奴が、一番性質が悪い。
実際には、まかり間違っても「そうでは無い」という厳正な事実を・痛みを麻痺させる麻酔薬の様な「まやかし」。
いつかは、とか、私でも、とか「もしも」という虚しい幻想は、リアルにヒトを殺す毒。
...んなもん、熨斗つけて倍返しにしてくれる♪
本当に難しいね(^_^;)
最初のきっかけは、たぶん餓鬼の頃に見た外国映画の登場人物たちが(字幕では翻訳される事も少なかったと思うけども)至極気軽に、ちょっとしたことに対して使っていて(例えば、ドアを先にたって開けてくれたとか、お店で新しいグラスを出してくれたとか、レジで現金と引き換えに商品を受け取る時とか)なんか、格好良いと思ったから。
まだまだ、この国で実際にやっちまうと、相手の方が驚いた顔をするのが、難だけども、多分、こちらに何の含みも無い事は伝わるのか、一瞬の間の後に、他の客に対するよりも張りの在る声で、「ありがとうございました!」が返って来るみたいだし(笑)
...たぶん、私の真意は伝わってないんだろうな。
その「ありがとう」が私にとっては、本当に遣いたい「在り難い事に巡り合せたという状況に慶ぶ」というものではない事には...まぁ、普通に歳相応に、どちらかというと穏やかに見える振りをしてリアルをやり過ごすには便利な言葉であることには、間違いない「ありがとう」って言葉はね。
でもまぁ、それを望むのは私の我侭。
私と「私」の違い位に、誰にとっても、些細なツマラナイ代物の一つ。
私自身は、一般的には(笑)きっちりと根腐れした性根から生えているし、ぜぇ〜んぶ嘘だよ〜んって言い切れる「嘘吐き」だという自覚が在るから、幾らでも平気な顔して何万回でも唱えられる「ありがとう」ってね♪
でも、之は、多分にユニークな事。
他のヒトの心の中には興味はあるものの、そこに立ち入るだけの根性の持ち合わせも無い私には知るよしも無い事だけども...まぁ、どっちでも善いってことなんだろうな、多分。
私は、私自身を愛さない。
また、世界もヒトも大嫌いだ。
「個」や一瞬の巡り合わせには、驚かされえるほど愛しいと感じさせてくれるモノ達も多々あると言うのに、群れになると、沢山になると、途端に別の物になってしまうから。
リアルな見た目どおりの間抜けな「おやぢ」でしかない私。
そうなってしまった事、それでも、スモーキーマウンテンの住人よりも遥かにお気楽ににべも無い事を、無駄に考える余裕すら持ち合わせていることに、何の恥じらいも疚しさも感じないで居られるキャラクターの一つ。
何処にでも在り、何処にでも居る、しごく「普通」でしかない者。
意味も意義も無い、厚みすらも無い、只の群れの中のヒトでしかない。
幸福な王子に仕えた燕は、幸福だったんだろうか?
...ところで「ありがとう」の対になる言葉が無いのは何故なんだろう?
(あ、「どういたしまして」は、対応のために存在する言葉なので却下ね♪)
何かを拒絶し、切り伏せるための言葉は、数え切れないほどあるし、特別な条件付けをする事も無しに普通に口から出るというのに...
それは、単純に所謂、「善意」と「悪意」の割合に比例しているだけの事なのか?
(まぁ、コレも立ち位置と線の引き方次第で、どうとでもなるような曖昧な代物に過ぎないけれども)それとも、単に、まだ「知らされていない」別の言葉として、どこかに、ちゃぁ〜んとリボンをかけて、最後の贈り物として隠されているんだろうか??
パンドラの解き放った箱の中身は、最初から最後までロクなもんじゃない。
中でも、最後に底に残った「希望」って奴が、一番性質が悪い。
実際には、まかり間違っても「そうでは無い」という厳正な事実を・痛みを麻痺させる麻酔薬の様な「まやかし」。
いつかは、とか、私でも、とか「もしも」という虚しい幻想は、リアルにヒトを殺す毒。
...んなもん、熨斗つけて倍返しにしてくれる♪
本当に難しいね(^_^;)
コメント
・・・おいおい今まで、わかってなかったんかい(汗
ご自分を嘘吐きと言い切るkajさんの、ジョークがわからなかったり、
ひねりがわからなかったり、と時間が掛かってしまいましたわw
でも言葉の奥の心は感じます。(ここには書きませんw)
私は、ただいま、すっかり吹っ切れて、嘘吐きから脱却中w
自分の自然体がみつけられそうです(遅っ
で、私の二つ名は、「nenatura」、エスペラント語で「not natural」=「不自然な」という風に訳されるべきものです。
綺麗な物は何でも好きです。
でも、その綺麗な物の多くは、決して自分のものには成りえないことも判ってる。
だから、ついつい、あの葡萄は酸っぱそうだから要らないよ、と嘯いてしまう。
只の狼中年の戯言です...大層な代物じゃぁ、ありませんよ(笑)