舞台裏

2006年4月29日
私の属性は「嘘吐き」、二つ名は「不自然」。
そして、このHNは、英語では「and」と訳されるエスペラントの単語(だから小文字表記)。

かぎ括弧に納まった「私」は、リアルな私の属性が(性別・年齢・属する集団?)思考の邪魔になるときに使う便法の一つ。

私が遣う「手段のために目的を選ばない」というのは、只の常套句。
退屈しのぎに「遊ぶ」事への照れ隠しの言い訳。

最初から最後まで矛盾しているのがヒト。
ヒトの考え出してしまった、矛盾という概念を超克した全ての人格(あるのか?)をして、私は全部ひっくるめてヒトデナシと呼ぶ。

私は、ヒトに信頼されるのも信頼するのも好まない。
自分自身がロクでもない亡八者である事は、今までにやらかしてきたリアルな言動で、骨まで性根が腐ってる事を承知しているから。
私が、ヒトを信用するのは、結果が吉凶どちらに転んだとしても構わないと投げ出しているから。宵越しの金を持ちたくないというのは、無意味な借りも貸しも自分自身を含む誰に何に対してでも作りたくないという河原者の裔の、せめてもの矜持。

札付き(診断書持ちって程度の意味)ではあるけれど、同じ盆の上に居る者に対しては一切、手加減する理由は持たない。
知らない事や、経験値でしかカウントできないような諸般の事情なんてのは、インディアンポーカのプレーヤーにとっては、意味が無いし、見破ることができないならばイカサマもルールの範疇。
基本的には「型」を見切ったところで、こちらは矛を引くんだけども(諍いを好むほど、勤勉実直ではないので)不調法を続けるならば(あとは...そうだなぁ。リアルな自分自身の体調次第ってのも偶には在るな)それは、もう贄の首を刈るかのように機械的に粛々と薙がせていただく事となる。
行動原理は、単純明快。
「伊達に酔狂」
奇遇なる巡り合わせを「在り難い事」と感じる程度の分別は、リアルな私でも態度に表すのは吝かではない...だって、見た目はどうあれナルシストなんだもの(^_^;)
自分自身の気持ちが、どこにあろうと・どちらを向いていようとも「一宿一飯の義」は、清算しておかないと座りが悪いから...でも、それもあくまで「目には目と歯」までは、やり過ぎない...で居るつもりなんだけどね、これでも。
受けた恩義(?)には「倍返し」ってのは基本中の基本でしょ♪

ただし、例え自分自身が勝手に身内だと思い込んでエコヒイキしている相手であったとしても、気持ちの良くないことも在る。
明らかに意図したものでないとしても、自分自身が避けている様なモノ・コトを何の衒いも無く比喩されたりすると、ついつい余計な御節介に励む事となる。
まぁ、大概は悪フザケ。
が、たまに加減をし損ねて、段々に言葉を交わす事その物の方が面白くなってしまい、気が付いたらあたり一面、焼け野原ってのも決してレアケースでは無い!
まぁねぇ、これも性分だからねぇ...だから、自分自身が明確に言った・やらかしたという自覚が無い場合さえも、可能性のある事柄については、全て己に責が在るという事だけは肝に銘じてる...多分。

さらに自分自身でも持て余し気味なのが「既知系」の「枠詠」だという事。
時間軸通りに、素直に使えるのならば「事象予知」となり、それなりに重宝はするのだろうけども(まぁ、先の全てが詰んでいる事が知れたとしても、リアライザーでもない限り、本来、起こらざるべき事を具現化できる訳でもなし、巷の占い師程度に小銭を稼ぐ事にしかならないんだろうけど...と酸っぱい葡萄である事にして嘯いてみる)既に起こってしまった事に対する解釈を幾通りでっち上げたとしても、自分自身が納得するだけで、誰かの共感や賛辞を受けるような代物には成り得ない(あ、もちろん、其処まで卑しくは無いつもりだよ。すべては自分自身の欲望の赴くままにってのが正しいと思い込んでるから)

さてと、大体こんなもんかな?
私が、此方で自嘲「おやぢ」キャラと一言名のる際に水面に出している一角から誰にでも推測できるであろう部分は(笑)

なんせ当方、臓物は「黒っぽく」はあっても、真なる色には縁の無い救われない虚け者故。

...ごきげんよう m(__)m

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kaj

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