不価値感症
価値観というのは、たぶん自分自身が受け入れてしまった実在する事が絶対に無い「標準」もしくは「平均」との相対的な距離を意味しているんじゃないだろうか?
例えば、成績の良し悪しなんてのは、割と簡単に認める事を強制されているにも拘らず、何とはなしに受け入れてしまってる「物差し」の一つでしかないんだろうと思う。
テスト、もしくは授業態度、出席率などのデジタル化しやすくかつ序列が明確と成る(つまりポイントの高い方が、より良いものとされているという意味で)ものであって、あくまで、ある学校でのある期間の(場合によっては、ある教師が)任意に設定したに過ぎない無秩序で未熟な群れ(あ、失礼)を取りまとめ安いようにするためだけの管理のための管理といった言った程度の意味合いしか持たないツマラナイ(さらに失礼)ものでしかないのに、ついつい皆、乗せられてしまってる。
教師も、生徒も、親も社会も、根拠を持ち得ない物差し一つで一喜一憂する。
さらに例えば、一般的言うところのポジティブであるとかネガティブであるとか言う区分け。
これも、実際の所は、かなり怪しい代物でしかないと私は捉えている。
誰かが(残念ながら自分自身以外の多数派が)良し悪しを決めているだけの事。
でも、それを意識的にせよ無意識にせよ自分自身が受け入れてしまわない限りにおいては、その行為や思いそのものは、何かに対して(0つまり重なるという事も含めて)相対的な距離を持つものであることは、間違っては居ないのだけれど、その基準点の正当性に思いを馳せた時、その距離感というのは、あくまでプラスマイナス虚数も含めて只の数字に過ぎない...正とか負とかいうのは、原点の置き方の問題に還元されてしまう。
つまり、どちらの例をとってみても、善いだの悪いだのというのは、自分自身が、その基準点を、何処に見据えるかの問題でしか無い。
誰かの決めた基準点をなぞらえるのは、確かに「お気楽」な話だと思うけども、それってつまり「普通」ってのは、そんなに、あなたにとって大切なのかねぇ??
私は、どっちでも良い(^_^;)
だから、誰かが何かの事を気に病んでいるようだったら(ただし、あくまで私のお気に入りが対象で、かつ私の手が空いている場合に限るんだけどね...なんせリアルな私も飯は食ってるから...笑)その基準点を足場にして、全く逆(ある方は180度違うと呼んでくれたみたいだけども)の言い回しをするのは、むしろ簡単な事。だって、最初から答えがわかっていて、ギミックを逆になぞらえるだけで、一見すると違うもののようにしか見えないだけのお話でしかないのだから。
でもって、さらに、その基準点そのものが曖昧な場合は(時系列の問題とかでね)悪いんだけども、適当なポイントを此方で決める事で、問題そのものを無効化してしまうというのも、決して難しい事じゃない。

まぁ、何れにせよ伊達に酔狂で私自身のために、やってる事でしかないのだから、その言葉をして、相手の方が、どの様に感じるかは、本当の所は、最初から最後まで私自身の関与しえる問題ではないのだから。
口を離れた瞬間に、言葉は全て聴く者の脳で解釈された、全く別物に変質するのは、私があなたでないのと同じくらいに道理でしょう?

...で、何が聴きたいですか、この嘘吐き「おやぢ」に??

コメント

涼香
涼香
2006年7月3日15:25

遅くなりましたが、リンクありがとうございます!
どうぞよろしくおねがいします♪

kaj
kaj
2006年7月3日18:10

はい、こちらこそお気づきいただき多謝m(__)m
たまに酔狂で↑の様なネタ書きもやってますが...気にしないでください(笑)

わいちん
わいちん
2006年7月4日12:19

ヒミツ日記に対する返事をここに書かせてもらいます。
まずは 丁寧な挨拶ありがとうございます。
kajさんからリンクをいただいたのですが 
こちらから相互リンクするのが遅れてしまって申し訳ないです
簡単な挨拶になってしまいますが
これからも よろしくお願いします。

kaj
kaj
2006年7月4日22:04

いえいえ〜
滅相も無い♪これは、私が好きでやってる事ですから。
こちらこそ、これからも御贔屓に〜
kaj

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

この日記について

日記内を検索