安心できない事の方が実は多い。

例えば、此方、こうやって文字を書き込めば、誰だか知らないヒトが読むことができる。
それは、何処でなのか、本当は知っているヒトなんじゃないかとかいった疑問はさて置くとしても、実際には、この仕組みを私は自分自身にも、また身近な誰かにも説明できない。
ネットワーク>電気信号>コンピュータ>モニタ>キーボード>眼と指>思考...
この中で、私には説明できるものが一つも無い。
完全なブラックボックス。
あるのは、常に入力と結果の連鎖だけで、途中は...「どこかしらでだれかしらがなんやかやとうまいことやっててくれているんだろう」って事で、それこそ呼吸をするように心臓を動かすためにモノを呑み喰いするように、自動的にかつ普通に、一片の意識すら向けずに「利用」している。

例えば、紙幣。
ごちゃごちゃと面倒な印刷のされたちょいとばかし厚手のごわごわした紙切れでモノが購える。
場合によっては、明らかに群れの掟を破ったモノであっても、その事自体を無かった事にしてしまえるほどの対価の証とすら成り得る。
意思や感情、骸が動く事で派生する価値は、数字に置き換えられ、全て、この代物によってやり取りできる...でも、手の中にあるのは、どこからどうみても只の紙切れ。
もともとは金塊だったり土地だったりしたのだろうけれども、現時点では実体など何処にも無い。

例えば、ヒト同士の心のつながり。
さて、私が視ているのは私の網膜に映ったあなたの像でしかないし、聴いているのも私の鼓膜が捉えた音でしかない...あなたという存在そのものが私の認識によって初めて私の中に生まれる(あ〜、だからと言って世界を滅ぼす最も手っ取り早い方法が己の存在の抹消だなどと早とちりはしない様に♪その行為によって消え去るのは、あくまで、あなたにとっての世界であって、必ずしもそれが私の世界と同じとは限らないのだから)あなたは私の知りたい「あなた」へと私によって変換されてしまっている。
うん、「私」は「私」の信頼性をどうやって確かめる事ができる??

例えば、信仰。
対象となるのは超越者(それが必ずしも群れの目的とそぐわない事も在り得る所謂、私がヒトデナシと総称する代物)なんだろうけれども、その差異が如何ほどの物であるか、またどれ程の影響をあなたが受けるかは別として、まず問いたい。
「あんた、見たんかい?」
答えが、是ならば、それはそれで、あなたにとっても、またまるっきし係わり合いを持ちたくないと思っている私にとっても、倖な事。でも、もし少しでも疑義を感じているとするならば、次の問は、こうなる。
「あんた、ええんかい?」
是ならば、さらなる倖と言えるし、もし、そうでないならば...ご愁傷様。
あなたも、十分に救われない♪

んなものは、どっちでも善い!!

ってのが、結局の所、私の結論。
放って置いても、私の周りで群れは機能し時間は過ぎていく。
刹那の光景は、総て凡その塊として、記憶と変質していく。
これは、只のギミックであり、ブラックボックスとして扱われるべきモノで良い。
多少の小細工で(ま、それなりの術式と経費と時間は必要となるが...実例としても決して少ない訳じゃぁ無いのは誰でも知る事ができる)自分自身の思い描く形に変質させられる程度の曖昧な代物。

...考え込むのは、決して悪いだけのものじゃないとは、思うけれども。
同じ所をグルグルと回っている姿を見せつけられるのは(まぁ、これは私の勝手な思い込みないし思い入れに過ぎないんだけどもね...笑)あんまり気分の好い物ではないヨ。
それは、たぶん、私が私自身を弄んでいたのと同じに思えてしまうから。
説教なんて私自身は、まるっぽそんなつもりもないし、もちらん柄にも無いけれども、一度、アイマイナモノと分別したのならば、それは、それ以上は構ってやる必要の無い事だと思うんだけどねぇ。

どうして自分自身を定義する事が不可能な(論理的にも現実的にも実用的にも)存在が、どうして他者に、その矛先を向けることができるのか?
私にとっては、その感性の在り様の方が、むしろ興味深いかもしれない。

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kaj

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