やみしばり

2006年7月29日
この言葉を知っている方にとっては、笑い話に過ぎないだろうし、ましてや実際に体験した事があり、無事にこの文言を見て居られるような方ならば、見逃してもらえるだろう。

そんなに大層な「お話」じゃぁ無い。

けれど...そうだなぁ自慢話の一つとして解釈されるのは、それ程私にとっても愉快な事ではないし、また誰かに同意を求めるなんてぇつもりは無い...というより、洒落にならないから、此処から先は、正直な所、読んでしまう事は、お勧めはしない(^_^;)

というか、以降は「引いて」いただくのが常套だとも思う。
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もう、いいかな?
でも、もう少しだけ、念のため(笑)
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ここしばらくの間、私は「夢」見る事が無い。
此処で言う所の「夢」は、両義。
脳内情報の円滑化のための不浄な情報の処理と言う意味とパンドラの箱の底にこびり付いていた最も疎ましい絶対に現状がそうでは無いという事を保証してしまう代物の二つ。

現象としては単純なプラシーボに過ぎない事を理解しているのだけれども、それは一人分の「私」を生贄にすることで相殺できる程度の冗句。

私は「情」を理解する事ができない。
私は「普通」を理解できない。
私は「自然」を理解できない。

そして、一番重要なことは...私は「生命」を理解しない。

だからネ。
壊す事に一切の躊躇いが無いんだと思う。


ヒトも

物理的にも精神的にも、手順は単純だし、既に砂丘の砂粒の総数程度には直接に間接に...どちらも同じ事。
そして「私が在る」限りにおいて、更にその数は減る事だけが無い事は決定的だ。
そして「私が在る」事を証明してしまっているのが、今現在、モニター上の空虚な・意味の無い・大概数こなしゃぁ偶々にはこんなことも起こる程度の確率で、この文字列をメにしまっている「あなた」なのだから♪

伊達に酔狂で「既知」なぞと呼んでいる訳ではない(笑)

起こってしまった事ならば、本質的に分解できないものは無い。

どんなに複雑そうに見えたとしても、どんなに同時に多発しているとしか思えなかったとしても、基本的な構造は此方でもリアルでも「在る」という、その一因に拠って、同じ集合で括れてしまう。
更に、「在る」か、またそうでないかという判断が出来る程度の事柄は、同一の事象として分類できてしまう...これが「私」の「術式」の一つ。

悪夢には悪夢の、狂喜には狂喜のロジックがある。
(あ、乱数の発生頻度程度は最初から変数の一部だから...突っ込み所じゃないよ♪)
「私」には詠めてしまう。
で、同じ事ならば、できてしまう。

百億の歳月でもかけたものでない限り、数劫以上の時間は必要ない。

...自分自身で、最も性質が悪いと自覚してしまわざるを得ないのは「私」自身が「手段」で在るという事...目的・動機とは縁が無いと言う事。

信用するには害は無いが、信頼には値しない事だけは他ならぬ私が一番「私」を知り尽くしてしまっているから。

方法は同じで無くて良い。
発生する事象が同じならば、それは必ず何かによって代替が効く。
そんなモノ・コト...便法と呼ぶにも値しない。
(拘束衣を着せられた上で目隠し猿轡に耳栓して御丁寧に真っ暗な井戸の底に放り込むなんて手間隙掛けるまでも無いって事)

たぶん「快さ」というのは私が「私」に科した枷だ。

河原者・亡八者・嘘つき...ぜんっぶひっくるめて照れ隠しの表層。
ヒトと明度・温度をあわせる事ぐらい、それぞれの「私」にとっては何の痛痒も感じられる「術式」ではない。

実の所、死んでいる者にすら「私」は手加減が出来ない。
いや、そんな「礼」を失するような真似出切る筈も無い...そんなもの表書きで名乗りを上げた時点で終わってる。

え?
じゃぁ何で、居座り続けるのかって??

応えは悔しくも何とも無い。
「私」がヒトだから♪

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kaj

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