あやめる

2006年8月8日
あやめる
どうにも多少は良かれと思ってすることは、必ず裏目に出ると言うのが私のジンクス。
たぶん、原因は、誰かのためになんて考えてしまった傲慢さに在るのだと思う。
だって、目の前に壊疽し始めている傷口を見てしまったら、全体を生かすために後先考えずに腕を切り落として、傷口を焼いて止血するってのは、定石だろう?
(あはは、また浮世離れした例えだと笑われるかもしれないね...でも、私にとってはリアルでも此方でも、躯と心は、同じ扱いをするってのが気持ちが良いもんだから、悪しからず♪)
一応、事故が発生しないように先に声はかけて在るんだよ。
此方でのように回りくどくなくネ。
その先、私の仕掛けた落とし穴が、山ほど在りますぜ!
とか
あ、そいつの周囲は、高圧電流の流された鉄条網(それも錆びの浮いた奴)が張り巡らされてるから、遭いに行くんだったら、せめて過剰なぐらいの理論武装はしておいた方が良いですよ〜
とかね。
(ついでに言うと、そいつが私の、それほど嫌いな奴で無いならば、後ろで救急箱ぐらいは、用意しているかもしれない。ま、それもこれも私自身の自己満足に過ぎなくてもね♪)

アマチュアスポーツのように決めごとによって、それこそ万に一つの事故でもおきない限り、命の取り合い・喰らい合いになる事はない、そんな風に優しい環境に居る訳じゃない。
そんなことで、飯喰っていられるほど、良い手札の持ち合わせが在るわけじゃない。
(こう、なんというか所謂、不平等とか不幸だと思ってしまえる感受性・弱さはだけは、総てのヒトに平等にぶちまけられているのは、否めないのも、あんまし面白い話ではないんだけどね)
生き残る=喰われない=喰い続けるってのは、最も自然な生き物の在り方だと思う。
その結果である「生き続ける」ことには、実は、それほど意義は無い。
ちっぽけな、群れの中の個の自己満足。
でもね、其れはそれで好しだとも思うんだよ。
だって、それって、つまり...一人は生き延びられたって事じゃない?
群れなんて、そもそも個性が在っちゃいけないのだから、そこで何かが選択された(望むと望まざるに関わらずにね)それが、たまたま自分自身ならば、その現象自身は自分勝手に受け入れたり拒絶したりできるほど、軽いもんじゃないとも思うんだよねぇ。

だって、私が在る=誰かが無くなった、って事でしょう?
勿論、その誰かが特定できないほど無名の縁を直接感じる事の出来ないものであったとしても、一息ごとに誰かを・何かを殺し続け・消費し続ける事が、ただ「生きている」って事でしょう?
(あ、もちろん、自覚せよなんて説教をぶちまける気は端からないし、そんなことをとやかく誰かに言えるほど大層なものでもないし、傲慢に振舞うつもりも無いので、ご安心を)

...だとしたら「意味」を持ち得にくいというのは(正確には、自分自身の存在価値を認めることが出来ない)そんなに外れちゃぁ居ないんだとも思う。
結構、ギミックそのものは、単純で絶対に不必要なものは存続し得ないから...在るという事は=意味の証明みたいなものだと考えるしかない。
誰かを殺し、彼彼女から奪う事・呪う事・妬む事は、もっとも自然な感情だと思うんだけどねぇ。

だってね、ヒトがヒトを殺してはいけない!
ってのは、既に偏見だと思うんだよねぇ。
何もしなくても腹は減る、そしたら喰うしかない。
他の生命を奪い合わないでなければ、食物にされるってのも十分な価値だと思うんだけどね。

つまり、私は、やっぱりヒトは嫌い。

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kaj

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