ISBN:4061824384 新書 京極 夏彦 講談社 ¥1,680
邪な事をすると死ぬよ。
うん、判るけども...かと言って、その人の閉じた世間をこじ開けさえしなければ、それはそれで私にも「あなた」にも関りの無い普通の事件で済んだだろうに。
この作品、前作からというか全シリーズを通して読んでいないと時系列やら人間関係が、かなり面倒である(まぁ、だからか、オマケで別冊付録の形で小冊子が添付してあったのは)
さらに、この作者の作品に共通の主格を明示しない地の文の章が幾つも挿入されるので、叙述トリック系のテキストに耐性の無い方には、まず「本格推理小説」の一つとしてはお勧めできない。
が、嫌いではない。
まぁ〜た例によって、ちょっとした辞書並みの厚さはあるのだが、最初の山(これが、どの部分までかというのは、多分に私の個人的な問題だと思うので敢えて明かさない♪)を越えてしまうと、後は、一気に「落とされる」。
作中人物のほぼ全員が何らかの形で「邪」について思いを馳せる、また転じて「法」で縛られた範囲よりも広い意味での「罪と罰」について様々な思いを巡らせる、それぞれの世間の中で正しいと思い、後悔し、途方にくれる。
まぁ、「物語」だから「終わらせる」ための仕掛けが用意されているのは、エンタテイメントの常。ひょいと世界を見透かす探偵と世界の内側から、世界の外の存在を騙れる憑物落とし。
彼ら二人の魅力だけで、この作品というか京極堂シリーズの世界観は綺麗に閉じている。
凡て不思議な事は、何も起こらない。
なぜなら、彼らの存在により、事件は見え方を変え、登場人物の立ち位置もくるくるとめまぐるしく入れ替わり、而して「落ちる」。
だから、筋を追いながら、途中からは自分自身の「お話」として読みいってた。
偶々、其処に「道具」があったから、機会があったから、魔がさしたからってのは、結果である現状への単なる言い訳でしかない。それも誰かを説得するためのものならば、まだ救いはあるものの己が「楽」で居たいだけがために自分自身で信じてしまいたいがためだけに弄される言葉は、虚しい。
何かを変えたいのなら変われば良い。
選択肢が無いのならば、諦めるのも善い。
ずるかまして、他人より美味しい目をみようとするのも自然だと思う。
使える物は、それが誰も見向きもしないような路傍の塵芥であっても構わない。
答えは、常にあるんだ。
そして、それは幾らでも、どちら向きにでも在り続けるんだ。
信じてもらわなくても善い。
多寡だかヒト一人の出来る事、世界に小波一つ立てる事は叶わないだろう?
普通は、それが一番好いんだと思うから。
弱いのは、やっぱり「悪い」んだよ。
弱いから状況は「悪く」なるんだよ。
愚かなのは、弱いんだよ。
その「弱さ」を誰も尊重なんかしない。
その「悪さ」に拘泥してあげる理由が無いから。
どうしたって、群れているのだから「大勢」は、正しかろうがそうでなかろうが、そんなこと一切お構い無しに在る。
だから、私は私の世間でしか話をしたくないと思ってしまうんだろうなぁ。
空っぽに近いようで、完全に何も無い訳でもないから...常に何かで埋めたがってるんだ。
さぁてと、今夜は何を喰らうか?何を乾すか??
何れにせよロクデナシは、蔓延る...かな(笑)
邪な事をすると死ぬよ。
うん、判るけども...かと言って、その人の閉じた世間をこじ開けさえしなければ、それはそれで私にも「あなた」にも関りの無い普通の事件で済んだだろうに。
この作品、前作からというか全シリーズを通して読んでいないと時系列やら人間関係が、かなり面倒である(まぁ、だからか、オマケで別冊付録の形で小冊子が添付してあったのは)
さらに、この作者の作品に共通の主格を明示しない地の文の章が幾つも挿入されるので、叙述トリック系のテキストに耐性の無い方には、まず「本格推理小説」の一つとしてはお勧めできない。
が、嫌いではない。
まぁ〜た例によって、ちょっとした辞書並みの厚さはあるのだが、最初の山(これが、どの部分までかというのは、多分に私の個人的な問題だと思うので敢えて明かさない♪)を越えてしまうと、後は、一気に「落とされる」。
作中人物のほぼ全員が何らかの形で「邪」について思いを馳せる、また転じて「法」で縛られた範囲よりも広い意味での「罪と罰」について様々な思いを巡らせる、それぞれの世間の中で正しいと思い、後悔し、途方にくれる。
まぁ、「物語」だから「終わらせる」ための仕掛けが用意されているのは、エンタテイメントの常。ひょいと世界を見透かす探偵と世界の内側から、世界の外の存在を騙れる憑物落とし。
彼ら二人の魅力だけで、この作品というか京極堂シリーズの世界観は綺麗に閉じている。
凡て不思議な事は、何も起こらない。
なぜなら、彼らの存在により、事件は見え方を変え、登場人物の立ち位置もくるくるとめまぐるしく入れ替わり、而して「落ちる」。
だから、筋を追いながら、途中からは自分自身の「お話」として読みいってた。
偶々、其処に「道具」があったから、機会があったから、魔がさしたからってのは、結果である現状への単なる言い訳でしかない。それも誰かを説得するためのものならば、まだ救いはあるものの己が「楽」で居たいだけがために自分自身で信じてしまいたいがためだけに弄される言葉は、虚しい。
何かを変えたいのなら変われば良い。
選択肢が無いのならば、諦めるのも善い。
ずるかまして、他人より美味しい目をみようとするのも自然だと思う。
使える物は、それが誰も見向きもしないような路傍の塵芥であっても構わない。
答えは、常にあるんだ。
そして、それは幾らでも、どちら向きにでも在り続けるんだ。
信じてもらわなくても善い。
多寡だかヒト一人の出来る事、世界に小波一つ立てる事は叶わないだろう?
普通は、それが一番好いんだと思うから。
弱いのは、やっぱり「悪い」んだよ。
弱いから状況は「悪く」なるんだよ。
愚かなのは、弱いんだよ。
その「弱さ」を誰も尊重なんかしない。
その「悪さ」に拘泥してあげる理由が無いから。
どうしたって、群れているのだから「大勢」は、正しかろうがそうでなかろうが、そんなこと一切お構い無しに在る。
だから、私は私の世間でしか話をしたくないと思ってしまうんだろうなぁ。
空っぽに近いようで、完全に何も無い訳でもないから...常に何かで埋めたがってるんだ。
さぁてと、今夜は何を喰らうか?何を乾すか??
何れにせよロクデナシは、蔓延る...かな(笑)
コメント
(なんでしたっけ?)を読みました。
京極堂シリーズのやつです。
あと、中島らものやつも読みました。
うちには東野さんの本がたくさんあります。
なんだか小学生の作文みたい。笑。
実は、私は一巻目(映画化された奴)は、あんまり合わなかったんですが、二冊目の「魍魎の匣」で、嵌りました(笑)
でも、このシリーズ以外の「お岩さん」の話とかエッセイの類は、あんまりのママです(^_^;)
4作の中では私も「魍魎の匣」が特別好きです。なんか・・・いいですよね(意味不明^^;)
いや、たぶん辛いというよりも、ネタバレ部分が時系列上生じているので、そのあたりの曖昧な記述が微妙だろうなぁと思ったわけでして。
うん「匣」は、本当に好いです(著作物、殆ど読んでしまっているものですから...後は、アニメ版の巷説百物語かな)どうして、此方を先に映像化してくれなかったんだろうと悔やまれて仕方が在りません♪