いっしょくた
所謂「価値観」ってのは、誰もが何かに対して必ず持っているものだと思う。
ただ気になるのは、
その「価値観」の理由というか根拠を自分自身で納得の上で居るのかという事。
例えば
「職業に貴賎」無しと言うのならば、
単に被差別待遇を受けてきた者や言葉や肌の色の違いで貶める事をするな!
だけではなく、
聖職とかいう発想は出て来ないはずだし、菊の血統に敬語を使うと言う意味も無いだろう。
区別しない・差別しないってのは、一方向だけを見ているだけじゃバランスが悪いんだ。
性別についても同じ、
出来る事と出来ない事はそれぞれに必ずある。
でも、
それは個体としてのユニークさの表れなのか?
それとも
生物学的な特徴なのか?
単なる風土や社会習慣やら宗教やら伝統とやらの「おまけ」なのか?

結果としての現実があるなら(水面に出ているか否か、また下手に首を突っ込んで無事に居られるかどうかは別として)理由も在る。

まさか、
少なくとも、
誰か(何時の時代だか、何処の国だか知らんけど)偉い人が、そう言ってたからとか、
そんな事、常識だろうが!考えるまでも無いとか、
はたまた、
え?なんでだろう?良く判ってなかったかもしれないとか、
そんな程度のことをして、決め付けてるんじゃないよね(^_^;)

それって...「好み」の問題でしか無いんだけどなぁ私にとっては。

ちゃんと考えてる?

もし本当に、そうだとしたらば...それはそれでマトモでは無いと思うよ(笑)

コメント

connie
connie
2007年2月9日20:21

・・・正直なところ、自分の中にある価値観(だと思っていたもの)っていうのは「好み」の問題かもしれないです。はっきりした根拠が見当たりません;
直感的にそう思ったり、おそらく今までに見聞きしたものによって形成されてたり。
 
「正しい」というのは世間一般でのお約束というか、正しいとされてることを指すつもりで「」付きにしました。
それらは今までの人類の歴史によって築き上げられたもので、ちゃんと理由があるんですよね。
それを↑のような考え方の「価値観」という言葉で括るなって事ですよね。

kaj
kaj
2007年2月9日20:59

...一人目ですね♪
ん〜っと、私は「命令形」は好みません。
だからいつも「疑問形」で、逃げている訳で...さらに追い詰めていくと、とある価値観を否定する価値観を更に否定する価値観みたいな、もっと虚しい言葉の罠にはまります。
だから、
こう在って欲しいとか、そうで無い方向に行ってくれないかなと「願う」事は在っても「叶う」事まで一緒にはしないってのが、わりと好きです。

フィオナ
2007年2月11日17:26

kajさん、初めまして。

リンクありがとうございます。
ちょくちょくお邪魔させていただいていました。
相互させていただいても良いですか?
では、またお邪魔させていただきますね。

kaj
kaj
2007年2月11日20:43

勿論♪
こちらこそ〜
お気づき頂き多謝m(__)m
えぇ〜っと、裏表、かなりキツイかも知れませんが...こんな奴です、これからも御贔屓に〜

フィオナ
2007年2月11日22:43

ありがとうございます。
早速、相互させていただきました。
よろしくね。
kaj

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