いつも同じ問いかけが口から零れ落ちる。

もちろん、何らかの答えを期待しているわけではない。

いや、正確ではないな、確かに幾つかの答えを受け取ったこともある筈だ。

が、それらは、私にとっては、それが応えの言葉で在るかどうかすらも判断できなかったのだ。

例えば、深い穴底に響くような残響音の聞き違いでしか無かったのかも知れない。

「何か、聞こえたか?」
「さぁ、空耳じゃない?」

私の声が足りないだけなのか?

「何、このノイズ?」
「うるさいなぁ、消しちまえ!」

繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返す。

私は、本当に「あなた」が其処に居る事を望んでいるのだろうか?

幾百幾千の繰り返しの中で、私は、私ではない「何か」が在ることだけは理解してしまっている。

それすらも私自身の自演でしかなかったとしても何の不都合はない。

私は最初から言葉を発してなど居ないのかもしれない。

私が眼にする、誰かの言葉は、実は只のランダムに配置された記号の集まりか、もしくな只の空白な紙に落ちた影の淡いなのかも知れない。

私が私で在る必然性など、どこにも無い。

私自身も、それを望んでいる訳ではない。

しかし、私は問い続ける。

初めから、応えられる事の無い問いかけを繰り返す。

罪を犯した覚えもないし、罰を受ける言われも無い...筈。

いや、思い出すことが出来ないだけなのだろう。

多分、それは私には無い機能。

私にできるのは、夜鳴鶯の様に、定められた時間を螺子を巻かれた分だけ繰り返す事だけ。

忘れ去られた壊れた玩具。

いや、最初から、誰かに忘れ去られる事を願っているだけの何でも無い、誰にも成りえなかったのが本当の事でないと誰が口に出来るだろう?

私自身を保証する事の出来ない私に意味などあろう筈もない。

やはり、私は只の白い壁の染みでしかないというのが正しい答えの一つなのだろう。

骸のみは、死にかけのまま日々を遣り過ごすだろう。

それを動かすのは、私自身を含めて誰にも同定する事のできない誰か、何者か。

演じて居るのか、代役なのか、誰にも判りはしない。

たぶん、演出家も、その出自を記憶したままでは、世界の一部、ヒトとしての体裁を取ることなど叶わないだろう。

...私は、誰であっても構わないし、むしろ欠落しても構わない。

なんだ、簡単な話じゃないか。

問いかけは、永久に残るが、それはチェシャ猫の笑い声と同じ。

最初から最後まで、何一つ意味の在るモノなどない。

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kaj

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