大阪に戻ってきてから3人目の若い医師に愚痴をたれて薬を処方(パキシル10mg×2、ハルシオン0.25mg×1、ロヒプノール2mg×1.5が一日分。ロキソニン60mg及びセルベックス50mgは頓服なので日に3回まで)して貰うついでに、前から少しばかし興味のあった話題を振ってみた。
(そうでもしない事には、リアルな仕事の話は、単純に4月に振り戻しで暑さに弱いことを重ねると、躯に症状が出てないだけ3年前の夏よりはマシで、気分は実に悪いで、問診時間が過ぎてしまいそうだったので、つい悪戯心で)
多重人格って症例は公式に認められてるんですか、例えばビリーミリガンみたいな?
...案の定、断言するkとを避けられた。
では、その人格が(いわゆる離人症的なものではなく)全部、同じ自分自身であるという症例の有無は?
...報告事例は無いといって、此方の目を覗き込んできたので、露骨に眼を逸らして見せた♪
では(あくまで妄想ではなく。後から周囲の人にも同じ言葉が聞こえたかどうかを確認したうえで)カクテル効果を意識的にコントロールして、会話を聞き取る事は可能か?
...これについては、比較的、可能性を示唆されたが続けて、貴方はそうなのかという問いかけがきたので、今度は私が言を濁した。
そして、最後に言質を取っておいた。
「貴方が、普通に合わせて社会生活をこなしている(例え、薬物の使用と自己暗示ないし思い込みのけっかであるとしても)のは、なんとも珍しいですね」
う〜ん、医師に説明するのは面倒くさかったので、そこそこの挨拶をし、来月の通院予定日を決めて、その場は撤収したのだが、これについては自分自身では納得している。
一平面上で直線に対して正円の外周が直交するのは一点しか在りえない。
つまり、点となる自称の連なりを時間軸と捉えるならば、私自身がリアルな自称に関わっている際に他者から見えるのは文字通り一点なのだが、感覚的に経過している時間は他者と共有される一点ではなくその点を含む正円状の長さを常に持っているという事だ(もっとも私の関わり方で円弧の半径は当然変化するし、円の角度は360度であるが、その倍数であるならば、傍から見た見え方は同じ交接する一点でしかないのだが...経過時間は如何様にもなると言うことでしかない。)
そしてまた、正円の外周は一直線に対しては一点でしか交接できないのだけれども、同時に複数の直線との交点持つ事は、そこで私自身が認識できる直線の数と同数あるという事でもある。
通常、一人の人間は、同時に複数の歴史(時間軸)に存在する事が出来ないが、その時間軸が相対する人間の主観でしか認識できないユニークなものであったとしても、私自身が円弧状の時間の流れを体感してしまっているが故に、私自身の自我は同時に複数の相対する複数の個人の時間に遍在することが可能となる...それが私にとっての「私」達という概念なのだが、それぞれの直線=個人からしてみれば、私の在り様と言うのは、一意に特定できない曖昧なものにしか映らないという現象を併発する事になる。
まぁネタを割ってしまえば、他愛の無いお話でしかないのだが、残念ながら、現在の私は「夢をみる」という形での脳内の情報を整理整頓するルーチンが機能していない。
また、肉体的な欲求(例えば、食欲が筆頭かな)を失っているのと裏返しに完全に躯の危機感を失っている。これらは、単純に常用している薬物の副次的効果の積み重ねであり、更に加えて厄介なのが、どの直線との交点を優先するかがずれ、様々なフラッシュバックも体験している(睡眠中の夢なら、多少おかしな体験であったとしても実害は無いのだが...昼間稼働時間中に意識の春暖と交互に遣られると、流石に危ない...奴だと思われないように言動は、常に地味に目立たぬように努めているのだが...笑)
かなりの間抜けを演じ続けてきたが、甲斐の無いことのならば、面倒だ。
どうせギャラに変わりが無いのならば、そろそろ手を抜いても良いかもしれない。
カエサルのものは彼に利しつけて返すとして、私の分も、そろそろ刈入れをしても撥は当たるまい。
苗木になると思って、水と光と風を分け与えてきた心算だったが、期待は案の定失われた。
もともと水耕栽培のポットに植えていただけなので、ポットごと取り外せば、私の処理系には何の影響も無い(それはそれで哀れだと思わないでもないが、あんたの出来の悪さを私の所為にされる謂れも無いので)無意味な事は、すっきりと止め様。
この2日間、暑さの所為もあるが、アルコール摂取と投薬で、躯の稼動を最小限に抑える事で、別のシナリヲにスイッチする事が出来た。
普通ならば普通にしてればよかったと思うんだけど。
普通ですらないのならば、私が合わせる必要も無い。
偶さか君に対面する時は、私の貌は君の方を向いているために私の身内からは伺えない。
また、感のいい子達は、ちゃんと距離をとって配置してあるので、私が素で振舞ってる事を露骨に見せないで済む(まぁ、君の顔色が変わり、激高したとしても、私がトーンを変えなければ...それは君自身の姿を過剰に表出するにとどまる)
運の無い奴というのは、何を遣っても、遣らなかった方が余程マシという目に遭う。
うん、誰かの倖は誰かの不幸によって積み上げられる。
富むものは更に富み、負債は幾ら小さなものであったとしても予想を必ず裏切る形で己を食いつぶすのが世の理。
ごく自然な流れは決して破綻する事は無い。
...もう、遅い♪
(そうでもしない事には、リアルな仕事の話は、単純に4月に振り戻しで暑さに弱いことを重ねると、躯に症状が出てないだけ3年前の夏よりはマシで、気分は実に悪いで、問診時間が過ぎてしまいそうだったので、つい悪戯心で)
多重人格って症例は公式に認められてるんですか、例えばビリーミリガンみたいな?
...案の定、断言するkとを避けられた。
では、その人格が(いわゆる離人症的なものではなく)全部、同じ自分自身であるという症例の有無は?
...報告事例は無いといって、此方の目を覗き込んできたので、露骨に眼を逸らして見せた♪
では(あくまで妄想ではなく。後から周囲の人にも同じ言葉が聞こえたかどうかを確認したうえで)カクテル効果を意識的にコントロールして、会話を聞き取る事は可能か?
...これについては、比較的、可能性を示唆されたが続けて、貴方はそうなのかという問いかけがきたので、今度は私が言を濁した。
そして、最後に言質を取っておいた。
「貴方が、普通に合わせて社会生活をこなしている(例え、薬物の使用と自己暗示ないし思い込みのけっかであるとしても)のは、なんとも珍しいですね」
う〜ん、医師に説明するのは面倒くさかったので、そこそこの挨拶をし、来月の通院予定日を決めて、その場は撤収したのだが、これについては自分自身では納得している。
一平面上で直線に対して正円の外周が直交するのは一点しか在りえない。
つまり、点となる自称の連なりを時間軸と捉えるならば、私自身がリアルな自称に関わっている際に他者から見えるのは文字通り一点なのだが、感覚的に経過している時間は他者と共有される一点ではなくその点を含む正円状の長さを常に持っているという事だ(もっとも私の関わり方で円弧の半径は当然変化するし、円の角度は360度であるが、その倍数であるならば、傍から見た見え方は同じ交接する一点でしかないのだが...経過時間は如何様にもなると言うことでしかない。)
そしてまた、正円の外周は一直線に対しては一点でしか交接できないのだけれども、同時に複数の直線との交点持つ事は、そこで私自身が認識できる直線の数と同数あるという事でもある。
通常、一人の人間は、同時に複数の歴史(時間軸)に存在する事が出来ないが、その時間軸が相対する人間の主観でしか認識できないユニークなものであったとしても、私自身が円弧状の時間の流れを体感してしまっているが故に、私自身の自我は同時に複数の相対する複数の個人の時間に遍在することが可能となる...それが私にとっての「私」達という概念なのだが、それぞれの直線=個人からしてみれば、私の在り様と言うのは、一意に特定できない曖昧なものにしか映らないという現象を併発する事になる。
まぁネタを割ってしまえば、他愛の無いお話でしかないのだが、残念ながら、現在の私は「夢をみる」という形での脳内の情報を整理整頓するルーチンが機能していない。
また、肉体的な欲求(例えば、食欲が筆頭かな)を失っているのと裏返しに完全に躯の危機感を失っている。これらは、単純に常用している薬物の副次的効果の積み重ねであり、更に加えて厄介なのが、どの直線との交点を優先するかがずれ、様々なフラッシュバックも体験している(睡眠中の夢なら、多少おかしな体験であったとしても実害は無いのだが...昼間稼働時間中に意識の春暖と交互に遣られると、流石に危ない...奴だと思われないように言動は、常に地味に目立たぬように努めているのだが...笑)
かなりの間抜けを演じ続けてきたが、甲斐の無いことのならば、面倒だ。
どうせギャラに変わりが無いのならば、そろそろ手を抜いても良いかもしれない。
カエサルのものは彼に利しつけて返すとして、私の分も、そろそろ刈入れをしても撥は当たるまい。
苗木になると思って、水と光と風を分け与えてきた心算だったが、期待は案の定失われた。
もともと水耕栽培のポットに植えていただけなので、ポットごと取り外せば、私の処理系には何の影響も無い(それはそれで哀れだと思わないでもないが、あんたの出来の悪さを私の所為にされる謂れも無いので)無意味な事は、すっきりと止め様。
この2日間、暑さの所為もあるが、アルコール摂取と投薬で、躯の稼動を最小限に抑える事で、別のシナリヲにスイッチする事が出来た。
普通ならば普通にしてればよかったと思うんだけど。
普通ですらないのならば、私が合わせる必要も無い。
偶さか君に対面する時は、私の貌は君の方を向いているために私の身内からは伺えない。
また、感のいい子達は、ちゃんと距離をとって配置してあるので、私が素で振舞ってる事を露骨に見せないで済む(まぁ、君の顔色が変わり、激高したとしても、私がトーンを変えなければ...それは君自身の姿を過剰に表出するにとどまる)
運の無い奴というのは、何を遣っても、遣らなかった方が余程マシという目に遭う。
うん、誰かの倖は誰かの不幸によって積み上げられる。
富むものは更に富み、負債は幾ら小さなものであったとしても予想を必ず裏切る形で己を食いつぶすのが世の理。
ごく自然な流れは決して破綻する事は無い。
...もう、遅い♪
コメント
横顔だといつもと違うお顔にも見えます。
昼間は、黒目が細くなるので、ちょっと意地悪そうです(笑)
うん、でも、やっぱり美形ですよねぇ(←親ばか親ばか)
半数致死量を超えるODで脳内物質をかく乱すると、極めて現実的で回復後も実体験のように記憶に残る幻覚・幻聴を覚えます(実体験)。それよりずっと弱い作用であっても、逆行性健忘があると言う事は、その間の「記録」が眠っている可能性は否定できないような感じはします。が、逆行性健忘を起こした時の客観的ログが無いので確認できませんが。
で、その穴を埋めるための妄想の一種が同一自我の偏在化なのですが...この概念が出てしまった所で、その方向性での思考は無効化されてしまうんですよねぇ...困ったもんです♪