きちんと納得のいく説明をして貰おうか?
2008年8月27日コメント (3)
彼等の一人が口にする言葉。
コレは意味が無いと考える。
何故ならば...
彼等が思っている(ないし思い込まされていた)のと違う結果が出た事に関して、彼らが理由を知った所で何かが変わる訳ではない、既に現実として「在る」モノを言葉だけで、如何にか出来るほどヒトは化け物じゃない。
それでも言わずに居られないのは、
己にだけは責任が無い
もしくは、
己は関与して居ない
という事を確認したいだけの事としか思えないから。
もしそれだけならば、
何をする心算も無いのに言っただけで何かを為した様な面ぁ晒してんじゃねぇ!
逆に納得させられてしまったら彼等はソレ(既に起こってしまった事と派生するであろうワンピースの諸々の出来事)を容認し粛々と従うことが出来るのだろうか?
「そうか、そういう事なら仕方が無い」
と、
微笑を浮かべながら隣人を屠り貪り喰らうことが出来るのだろうか?
平等で全うな世界では「不条理」の一言で片付けられてしまう様な出来事。
が、
ソレが本当に文字通りの意味で「条理」に適っていない訳は無いだろうに。
起こる可能性の在る事は(己が直面する機会を持つことに成るかは否かは別として)須らく起こる。
コレは、それも含めて「律」と考える。
少なくとも「律」の内側に在る者は、その外側を想像する事は可能だが、その想像すらも「律」の範疇を越えられない...だからこその「律」だ。
それでも口にするというのは、単に認識が甘いだけサ!
彼等は何かをしたいのか?
彼等は何かをしたくないのか?
彼等は何もしたくないのか?
コレは全部まとめて捌く。
初めから不定形の代物を相手にすることに成ると言うのが判っているならば、
その時を迎えるまで欺き通そう彼等自身とその思いの全てを。
「撃って良いのは撃たれる覚悟の有る奴だけだ」
...悪くは無いが、コレにはそんな大層な言葉は要らない。
気がついたら順番待ちの列の中に居た。
たった、それだけの「お話」でしかない。
彼等の誰かが気づこうとも、そうでなかろうとも、
この駄々書きは誰かの手を煩わすことなく消えることは無い。
ならばコレは全部呑む。
コレと彼等を分かつ境界「線」は計測は出来ないにも関わらず双方に認識されてしまう。
だから、
コレにとって最も重要なのは、
絶対にコレではない誰かの存在と、その存在により認識されたコレのセルフイメージだ。
鏡像(虚像でもかまわない)によりコレは此方を感じる実感として。
たとえ、ソレが今、この瞬間に目に見えないとしても、コレが「我」を感じる程度には、確実に絶対にコレだけではない幾許かの彼等が存在する。
ソレには説明も意味も必要無い。
コレは意味が無いと考える。
何故ならば...
彼等が思っている(ないし思い込まされていた)のと違う結果が出た事に関して、彼らが理由を知った所で何かが変わる訳ではない、既に現実として「在る」モノを言葉だけで、如何にか出来るほどヒトは化け物じゃない。
それでも言わずに居られないのは、
己にだけは責任が無い
もしくは、
己は関与して居ない
という事を確認したいだけの事としか思えないから。
もしそれだけならば、
何をする心算も無いのに言っただけで何かを為した様な面ぁ晒してんじゃねぇ!
逆に納得させられてしまったら彼等はソレ(既に起こってしまった事と派生するであろうワンピースの諸々の出来事)を容認し粛々と従うことが出来るのだろうか?
「そうか、そういう事なら仕方が無い」
と、
微笑を浮かべながら隣人を屠り貪り喰らうことが出来るのだろうか?
平等で全うな世界では「不条理」の一言で片付けられてしまう様な出来事。
が、
ソレが本当に文字通りの意味で「条理」に適っていない訳は無いだろうに。
起こる可能性の在る事は(己が直面する機会を持つことに成るかは否かは別として)須らく起こる。
コレは、それも含めて「律」と考える。
少なくとも「律」の内側に在る者は、その外側を想像する事は可能だが、その想像すらも「律」の範疇を越えられない...だからこその「律」だ。
それでも口にするというのは、単に認識が甘いだけサ!
彼等は何かをしたいのか?
彼等は何かをしたくないのか?
彼等は何もしたくないのか?
コレは全部まとめて捌く。
初めから不定形の代物を相手にすることに成ると言うのが判っているならば、
その時を迎えるまで欺き通そう彼等自身とその思いの全てを。
「撃って良いのは撃たれる覚悟の有る奴だけだ」
...悪くは無いが、コレにはそんな大層な言葉は要らない。
気がついたら順番待ちの列の中に居た。
たった、それだけの「お話」でしかない。
彼等の誰かが気づこうとも、そうでなかろうとも、
この駄々書きは誰かの手を煩わすことなく消えることは無い。
ならばコレは全部呑む。
コレと彼等を分かつ境界「線」は計測は出来ないにも関わらず双方に認識されてしまう。
だから、
コレにとって最も重要なのは、
絶対にコレではない誰かの存在と、その存在により認識されたコレのセルフイメージだ。
鏡像(虚像でもかまわない)によりコレは此方を感じる実感として。
たとえ、ソレが今、この瞬間に目に見えないとしても、コレが「我」を感じる程度には、確実に絶対にコレだけではない幾許かの彼等が存在する。
ソレには説明も意味も必要無い。
コメント
コレの使い方としては必ずしも正しいとはいえない。
一本の蝋燭で1トンの油に火を放てる。
が、
一本の蝋燭の火に一瞬で1トンの油を注いだら確実に火は消える。
つまり、そういう事だ。
コレは「逆も真」である為には、かなりの段取り事を「目に見えない」所で片付けておくのを伊達に酔狂で遣ると嘯く。
リンクどうもありがとうございます。
まだ使い方がよくわかっていません。(^^;
これからもヨロシクです。
DNって不思議と「猫」需要が高いんですよねぇ♪