just for You.

2008年11月22日
just for You.
コレの立ち位置は基本的に「有鬼派」に属する。

理由は単純。
コレは、ある期間限定で「視える」状態に在ったからだ。
(勿論、今は、その条件下に無いので普通に暮らしているが、その当時の感覚が共有幻想なのか妄想だったのか、心理療法的に説明のつく代物だったのか、また別の解釈ができるのか?未だに「隠された」お話の周辺をサルベージしてみたり、ある種のインスピレーションのネタが転がっていないか探し続けてしまっては居る。ヒトデナシと便宜的に定義しているのも、あくまで個人的な趣味の範疇だ。)
補足的には、己の脳が判断してしまった情報は鵜呑みにするべきでは無いという経験則を持っている事と残念ながら「欠けているピース」が在る方が破綻しにくい「お話」もあると痛感しているからだ。

さて、
素朴な疑問が在るのだが、ヒトが思いつくような神様=ヒトデナシなんて言う上位者の存在に盲目的に従属したがると言う習性は一体何処から湧いて来るのだろう??

言い換えよう。

己の願いを何故、己以外に託そうとする?

...気持は理解できる。
もう己では、どうにもならないと思い込まされて居るのなら、
確かに別の何かに頼りたくもなろう。
が、
其処には何の解決も可能性も無い。
ヒトが考えた程度のヒトデナシの能力など多寡が知れたモノ。
どうしたら、
己にだけ優しいなんて事が起こり得る。
誰かの願いだけが叶うと思う?

流れ星に願いを懸けると言うが、実際に流れ星を今までに何度見た事が在る?
その時に、きちんと3回唱える時間が在ったか?
願いが叶った試しなんて無いんだ、
願いを託したいと考えた数多のヒトと時の移ろいの中では。
つまり、叶わないと言う事。

多分、
この辺りで問い返されるんだろうな(^_^;)



「では、何故、お前は生きて此処に居る?」


理由は無い。
必然性も無い。
さらに意味まで求められたとしても
応える言葉を知らない。

ただ、
コレにとっては近しい概念として
「すたんだろーんこむぷれっくす」
と発音される代物が在る。
後半の語句は、
日本語で二重の意訳が出来る。
~に対する劣等感

複合体。
うん、関係性ってのは基本的には錯覚なんだ。
脳の誤作動もしくは記憶の改竄。

コレは、そう言う代物。

天井の染みに人の顔を見つけるのも、
一二度、言葉を交わした相手に親和感を覚えるのも
同じ現象。

意味を見つけたいと思うから関係の無い二つの何かの空白を埋めようとする。

「信じたい」

「信じられない」
は、
全く同じ事情に対して発生する「感傷」に過ぎないんだけどもなぁ。

同じなんだ。
どんな感情も、
心が動いたように感じると思ってしまっているだけの「お話」でしかない。

死んでいない事と死にかけて居ると言う事も同じ。
ただ生きていると言う事。

良し悪しを誰も判断する事なぞ出来ない。
...少なくともヒトであるならばネ。
勿論、
状況を卑下する事も驕慢する事も単なる修辞の問題。
(まぁ度を過ぎると不快感を以て処されるのがヲチ。)
そもそも優劣なんて無いんだよ。

物語の登場人物の様な予定調和のヲチなんて都合の良いモノが、
リアルに存在するはずも無い。

証明するには自分の胸に手を当ててみるだけ済む。

そういう「お話」なんだ。

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kaj

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