喰うも喰われるも
単純な話、個を特定できない誰かと言うのは誰でも無いという事に過ぎず、その言動が如何に正義感にあふれた(笑)モノであろうとも純粋な悪意にまみれたモノであろうとも(笑)発する個の特定を避けた時点で単なる雑音ないし騒音に成り下がる。
野次馬が声を揃えてみた所で、その量・質ともにリアルな影響力を持つ何かに変わる訳では無い(自作自演なんて陳腐過ぎるし、システムの枠を越えられない反動的な先導者なぞ滑稽極まりない)
理想も好い、慙愧の念を騙るのも好い、誰かを誹謗中傷するのも構わない。
言葉で揺らぐ様な甘い軸ならば、へし折られるのが当然。
此方での生き様、死に際は任意にコントロールできるから、
それも
可塑的に可逆的に、
かつ時間を遡航し捏造する事も因果を歪める事も自由自在だ。
記された文字列のリアリティ(あくまで書き手では無く読み手が読み取る事の出来るという前提で)のみが意味を持ち、影響力(例えばコレは好まないが「元気」を勝手に受け取ったとか「慰め」の好意を信じるとかいった勝手な思い込み)の及ぶ範囲と強度も同様に書き手のリアルとは一切、無縁だ。(リアルな愚か者が、犯罪予告や犯行履歴を得意げに中途半端な形で晒してお縄を頂戴するという茶番も理に適ってる。此方で無ければ周囲の人間に吹聴するか、電話するか、怪文書を発行するか、同じ結果を引き出す方法の何れかを取るだろうからねぇ。)

こんな事は、只の前提でしか無い。

判っていると思うが、楽なのは喰い物にされる方だという事。
社会的弱者であるから...ナンセンス。
個体機能が劣っているから...ナンセンス。
想定外の事象に対面したから...ナンセンス。
喰われた瞬間に終わる。
謂い訳なんぞ考える必要も無い。
無関心、
無自覚な悪意、
集合的無意識、
...本能?
喰われた側にとっては意味の無い謂い訳。
が、
喰わないモノは生きては居られない(存在のレベルは別だが)。
其れ以外には何も無い。
死にたくないから生きたい?
生きるのならば、平穏に安楽に過ごしたい?
望むのは自由だが、
リアルは厳格に平等だ。
その個体自体の意思では無く戦場に生まれおちるのも、
幻想に過ぎない標準とされる躯を持たずに生まれおちるのも、
誰かの不幸の代償に蔑まれ一方的に搾取されるのも、
血反吐とともに世代を越えた呪詛すらも途中で断ち切られるのも、
確率的には変わらない。
だから、
勘違いしてはいけない。
喰われたモノは、=で被害者...では無い。
捕食者を延命させたという只、その一点で共犯者となる。
これは喰うという行為を基点に正反対の位置に立つ複数の全てにおいて平等だ。

コレは忘れない。
いや、
正確には、忘れたくないと思っている。
今、リアルに死んでいない骸を持ち「待っている」だけであるという事の意味を。
平等という言葉が、
立ち位置によっては、冷酷無情なモノと感じてしまえる事を。

それでも望むのか?
平等に拠る己の心の平穏を。

そのリアル、コレは要らない。

コメント

R30たくろう
2009年1月25日16:47

リンクありがとうございます。ダイアリーノートのトップページから、「喰うも喰われるも」という題名に興味を持ち、訪問してみました。裏表がある方が、人間らしくて面白いと思います。

kaj
2009年1月25日18:14

はい、こちらこそ♪

表裏一対がヒトの基本ですネ。
ただ不思議なのは、
普通はそれを同じモノと捉えないみたいなんですよ(^_^;)

la vie en rose
la vie en rose
2009年1月26日14:37

Kajさん^^

>ただ不思議なのは、
 普通はそれを同じモノと捉えないみたいなんですよ

 ホントにね、激しく同感します。
 自身を顧みれば分るのに。

kaj
2009年1月26日15:46


>自身を顧みれば

どうもねぇ、
あまり
あり難くない事には世の中、そういう風には動いてくれてませんねぇ(^_^)
ちょっと想像力を膨らませれば、
同じ事をされたら、
どんな気がするかって直ぐに判るはずなんですが...
...それとも、わざとなのかもしれませんねぇ困った事です。



kaj

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