>無くて七フェチ

2009年3月8日
>無くて七フェチ
自分自身の有用性の証明は自分自身でだけは絶対に無い誰かに拠るモノで無ければならない。

何かを選択する(勿論、保留というのも選択肢の一つだが)
そして
動く・考える(くどいようだが動かない・考えないと言うのも同義)。
一滴の滴が波紋を起こすように、何かが変化する。

行為と影響。
効果範囲と持続時間。

どこまで己を律する事が可能か?
同様にして、
どこまで無自覚を装う事ができるか?

...自分自身ほど、容易に騙せる相手は無い。

現象であれ感覚であれ、
自己認識程、当てに成らない代物は無い。
記録も記憶も
その所在が内部であるか外部であるかによる違いは無い。
事実は一つであったとしても
リアルに思い出せない事、
つまり輪郭線によってのみ事象の存在を時系列の中でトレースするしか無い様な出来事=看る者の数×(経過時間÷最少可能計測時間)となり普通に認識できなくなり根拠たる由縁が消失する。

謂い直そう。

騙される事を望んでいるのは自分自身だ。

優しい言葉、
温かな掌、
柔らかな塒、
穏やかな瞬き。

想像できるし捏造もできるが、その逆も同じ。

拒む事
受け入れる事、
看過する事、
...認めてしまっている事。

叶ってしまえば、そこで終わる。
それでも
繰り返し繰り返し繰り返す。



露悪は単なる趣味。
どう小細工して足掻いた所でリアルは小揺るぎもしない。
それを晒すのは、
自分自身の為に絶対に自分自身で無い誰かや何かを巻き込む為。

さて、コレは本当に実用的なんだろうか?

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kaj

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