ひょいっと

2009年5月13日

願うからには、叶えなきゃね。
ただ漫然と願い続けるだけじゃ何も変わらない。
たとえ、
それがどんな「願い」であったとしても。

少なくとも強固な意志は必要だと思うなぁ...実例として身近な道具だけで自力で解決した例は結構たくさん記録が残ってる(例えば、洗面器一杯の水でも顔を上げないように押さえ込み続けることが出来れば可能。胃が丈夫なら多めに飲み下してみても良い。あ、道具が無くても両腕が揃っているのなら締めつづける事も出来る...)
ただねぇ普通のヒトには、そこまで自身の肉体を制御できる「根性」は無いと思うし、
何よりもタイミングってのもある。
真っ最中か直後に誰かに見つかっちまった時点で「願い」は破綻する。

不思議なんだけどもねぇ。
この瞬間に
真逆の事を考えているヒトの数と
同じ思いを抱え込んでいるヒトと
更に「それ」について意識を一切、振り向けていないヒトの数(もちろん、これには時間的な肉体的な個体差の問題が係わってくるだろうから三番目は意味が無くなってしまうと言うのも理解している心算だけども)どれが一番多いんだろう?
求める結果は真逆でも、
足掻き続けるエネルギーの量って実は大して違わないんじゃないかなぁ。

投了が宣言できるのは(勝負そのものは別として)そういうルールのある盤上に限られる。

リアルは奇遇。

経験則と知識、どちらも信頼に耐える構造体は形成できない...筈だけどなぁ。

もっとも
コレは「願い」を無くしてるから(単純に壊れているだけ...笑)
これから先をイメージできない。
感情も記憶も行動も、
コレではない誰かが勝手に(正確には個体差に基づく自由度って方が、しっくりくるか)想像していると想像することによってしか判らないから、本当の所は何時も。
それなりに無駄に殺して喰らってるから、こんな風に考える。
忘れてないよね?
只で
時間をやり過ごす事なんてのはヒトにも別の「生き物」にも不可能。
(埒外に一線を越えてしまえば違うのかもしれないけれど、それは想像の域を超えることも出来ない。加えるならば、同じ想像を既に誰かが遣ってしまってる蓋然性のほうが高い)

んなもん、どっちだっていいヨ。

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kaj

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