どんなに悲惨な状況や心情に陥らざるを得ないシチュエーションがあったとしても、その理由を可能な限り追い詰めていくと、結果的に(運の良し悪し=奇遇も含めて)コレが悪いと言い切ることが出来てしまう。
ある意味「アゲハ効果」のヴァリエーションかな?
目を閉じ耳を塞いだ位で、コレを含む世界が小動もしないのはもちろん承知。
というか自我が中核的であるという妄想癖は持っていない...たぶん(自己検証できないからねぇ)
他人様の不幸を想像し、共鳴することは在っても、それは、あくまでエミュレーションのレベルでしかないのも当然(別の個体だから...たぶん。これも自己検証は出来ないけど...笑)
実の所、
コレは、あまり「理不尽」とか「不条理」とかいう概念を自身にも、絶対にコレ自身でないと想定しても問題ないと思われる他者(実に、これも究極的に検証できないんだけど)に対しても適用するのを「好まない」。
だって、
普通は「殴られれば痛い」が正しいだろうし、「謗られれば悔しい」というのも理解は出来る。が、理解するというのと体験するというのは全く別の次元の問題であろうし、同時に同じ時間枠の中で平行して発生する代物がコレを含む誰かか何かに確認されている事象であるというのも「同じ事柄」を別の口が語っているだけの「お話」ないし「物語」に収斂してしまう(まぁ、実際に語り継がれることになるか否か、そこに載せられるであろう幾許かのニュアンスの違いは、総じて「聞き手」により幾らでも異なった心象風景を生みだし、更なる「媒介者」として「語り手」もしくは「実行者」ないし徒手空拳の無貌の何かのいずれかに変質するだけの事だ。知識が経験の積み重ねであるとしても継承されることが無ければ、観測することは出来ない...意味消失に至る)
コレの所為に出来るということは誰かの所為に出来るということと同議。
逆に
誰かの所為の対格たる「誰か」がコレであっても問題は変質しない。
思いもよらない
とか
想像も出来ない
とか
概念上の埒外をヒトは普通に取り扱えるように出来ている...らしい^_^;
だからコレは慰めたり癒したりしない。
(正確には、そういったスキルを持たないし。本当に、そういったスキルが存在するか否かも検証するすべを持たないから...ただし、真逆の手段なら「ポケットからあふれ出す虹」位には知ってる。)
手の届かない空隙を輪郭線から推し量ることは出来るが、その穴を埋めるのはコレの役分ではない。
そもそも怒り、嘆き、苦しむといった感情は、実に個人的な問題であるが故に、その個人自身が納得しない限り(その上で、更に動きたいと感じた時に)その時間、その場所から離れることなぞ普通のヒトに出来るはずがない。
まぁ普通が、どうかなんて「お話」と個人は同じレベルで騙り得る(比較?)する事自体が無理なのだから、まずは自分自身から整理しないと基点を失うことになる。
壊れたヒトは...何を遣らかすか判ったもんじゃないから。
誰かの為という理由をでっち上げさえ出来れば、普通ではない能力を発揮するというのは(火事場の~)良くある事♪
で、
無慈悲で無頓着で無邪気な質問を一つ。
「貴方が悲しい理由は、本当は何?」
ある意味「アゲハ効果」のヴァリエーションかな?
目を閉じ耳を塞いだ位で、コレを含む世界が小動もしないのはもちろん承知。
というか自我が中核的であるという妄想癖は持っていない...たぶん(自己検証できないからねぇ)
他人様の不幸を想像し、共鳴することは在っても、それは、あくまでエミュレーションのレベルでしかないのも当然(別の個体だから...たぶん。これも自己検証は出来ないけど...笑)
実の所、
コレは、あまり「理不尽」とか「不条理」とかいう概念を自身にも、絶対にコレ自身でないと想定しても問題ないと思われる他者(実に、これも究極的に検証できないんだけど)に対しても適用するのを「好まない」。
だって、
普通は「殴られれば痛い」が正しいだろうし、「謗られれば悔しい」というのも理解は出来る。が、理解するというのと体験するというのは全く別の次元の問題であろうし、同時に同じ時間枠の中で平行して発生する代物がコレを含む誰かか何かに確認されている事象であるというのも「同じ事柄」を別の口が語っているだけの「お話」ないし「物語」に収斂してしまう(まぁ、実際に語り継がれることになるか否か、そこに載せられるであろう幾許かのニュアンスの違いは、総じて「聞き手」により幾らでも異なった心象風景を生みだし、更なる「媒介者」として「語り手」もしくは「実行者」ないし徒手空拳の無貌の何かのいずれかに変質するだけの事だ。知識が経験の積み重ねであるとしても継承されることが無ければ、観測することは出来ない...意味消失に至る)
コレの所為に出来るということは誰かの所為に出来るということと同議。
逆に
誰かの所為の対格たる「誰か」がコレであっても問題は変質しない。
思いもよらない
とか
想像も出来ない
とか
概念上の埒外をヒトは普通に取り扱えるように出来ている...らしい^_^;
だからコレは慰めたり癒したりしない。
(正確には、そういったスキルを持たないし。本当に、そういったスキルが存在するか否かも検証するすべを持たないから...ただし、真逆の手段なら「ポケットからあふれ出す虹」位には知ってる。)
手の届かない空隙を輪郭線から推し量ることは出来るが、その穴を埋めるのはコレの役分ではない。
そもそも怒り、嘆き、苦しむといった感情は、実に個人的な問題であるが故に、その個人自身が納得しない限り(その上で、更に動きたいと感じた時に)その時間、その場所から離れることなぞ普通のヒトに出来るはずがない。
まぁ普通が、どうかなんて「お話」と個人は同じレベルで騙り得る(比較?)する事自体が無理なのだから、まずは自分自身から整理しないと基点を失うことになる。
壊れたヒトは...何を遣らかすか判ったもんじゃないから。
誰かの為という理由をでっち上げさえ出来れば、普通ではない能力を発揮するというのは(火事場の~)良くある事♪
で、
無慈悲で無頓着で無邪気な質問を一つ。
「貴方が悲しい理由は、本当は何?」
コメント
今日のDN5回読みました。
読んでいたら心臓がドクドクしてきました(笑)
なるほどね!
いや、違う!?
虚脱感?
気分次第?
奇跡のひとつぐらい起きて欲しい気分です。
って、どんな奇跡や?
また、明日読み直すわ♪
あまり深読みはお勧めしませんm(__)m
何処まで行っても「伊達に酔狂」を背中に背負った「嘘吐き」の気紛れですから♪
(「あなた」を「貴女」にしなかったのは、正解だったみたいですねぇ)
困ったな...