「運」と「命」を一緒くたにしなぁ~い!!!

何で問題を解けない方向性に持っていこうとするかなぁ。

所謂、プレコグニションだとかサイコメトリーといった事象はエンタテイメントとして扱われるべきもので(実際に未だに番組改編期の特番のネタとして繰り返されてるじゃない「全く同じギミック」を演出だけ変えて)普通に考えれば、幾らでも同じ現象を誰にでも(あ、これは必ずしも正確じゃないか(^_^;)それなりのリアリティを持たせるには「銭」と「手間」が掛かるし、対費用効果を合わせられなければ続けられないから♪)再現できるんだけどなぁ。
一番単純な事を忘れてない?
不思議な事は、そうと思う者が居なければ「無い」んだヨ。
一々事例を挙げるのは無粋だと怒られそうな気がするから止めとくけど(笑)
ヒントを一つだけ。
「目の前に居る観客は、本物?」

自己の存在がユニークなモノだという認識の根拠は何処に在るんだろうねぇ。

生命活動を継続する躯と、それが他者や自身の経験から学んだ知識、目の前に現出した状況...少なくとも「現在」は3つのラインで構成されてる(だからさぁ「文殊の智慧」の謂いは、かなり良い線を行ってると思う。最低限、普通なら3人は必要って意味で)そりゃぁ「解けない」わ(^_^;)

規定時間をオーバーした時点で結果とは呼ばれない。

当たり前だ、遺伝子の持ち時間の可能性は遺伝子に刻まれてる(あくまで不慮の何かが発生しないフラスコの中でと言うレベルだが)死んだヒトに仕事を続けられた日にゃぁ、とっくに吹き零れてるよ、この惑星圏は。だから規定時間内(誰がとか誰のってのは考えるだけ無駄。これは「不能知」の一つだからヒトである限りはネ)に問題を解けた者には続きがあるし、そうで無ければ、それで「御終い」。
無限に時間が在るのならば、ヒトが既に遣らかした事が在る類の代物ならば必ず、その複製は可能...だってさぁ、同じ生物学上のヒトじゃない。多少の揺らぎやら偏りがあるとしても構造的に、そんなに違えるものじゃないだろう(外れれば、その時点で即、ヒトデナシの一丁上がり...勿論、ヒトの想定が可能な範疇を越える事は不可能だけどね、ヒトである限りはw)

無意味な努力ってのは基本的に知識の欠如によって生じる。

あのさぁ小学校で昔は「和算」の類を山ほど詰め込んだんだよねぇ(今は、どうなんだろう?)けど、それらの解法って普通に連立方程式を知ってれば全部正解しちまう。代数の概念って「私」と「私以外」ってのが認識できるのならば、普通に同じだってのは常識だろうに(^_^;)
まぁ群れを構成するには「役割」を決めないと統率がとれないから、平等に足掻かせて処理速度を上げさせて耐性のある個にのみ次のステップに進ませるってのは理解できなくも無いんだけども、余りにも冗長だ。
歌いながら踊る(逆でも一緒だけど)のは、ある種の才能が要求されると思い込まされてるけど、どちらか片方だけなら普通にできるよね(出来の良し悪しは、あくまで「見ている」自分以外の何かにしか判断できない事なんだから意味をなさない)

一度でいいから聞いてみたいんだよねぇ...不慮の死を遂げたヒトに感想を。

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kaj

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