頗る差し障りの無い話だ。
どれ程、暗く思えたとしても影は、
単純に光の遮られた事によって生じる刹那の間でしか無い。
勿論、
時間を量として捉える感覚には個体差が生じるため、
その刹那が永劫にすら思えてしまう事も在るだろう。
が、
最大の光源たる太陽は、恒に動いており、光の射す方向も刻一刻と変化し、
とてつもなく大きな遮蔽物が眼前に身じろぎもせずに立塞がっていたとしても、
堕ちる影の形も大きさも濃さも易々と変化する。
また、
影に封じられてると思い込まされていたとしてもだ、
どんなに頼りなく幽かで小さく震える様な弱くても良い、
自ら灯りを点す事が出来るのならば、己の領域を保つ事が出来る。
ましてや、
他に光を手にする者が傍らに居るのならば、
互いに照らし合う事で影そのものを無効化する事は容易いんだ。
そう、
己の捉われてる場所が、影の中なのか闇の真っただ中なのかさえ
見誤る事が無いのなら...
そもそも、
ヒトの眼球は反射光を捉える事で画像認識を行っている。
闇とは、光と逆の概念上の「何か」だ。
所謂、思いもよらないモノにカテゴライズされるべき全く異質の「何か」だ。
影は光によって生じるが、
闇は光を浮かび上がらせる背景。
存在の可能性の外側、ヒトにとっては不能知の状況?状態?
普通のアプローチでは欠落を確認する事は出来ても、
その欠落した部分を言語化できない「何か」の一つ。
コレも残念がらヒトの端くれに過ぎないから影の最も濃い部分について騙る事は出来ても拉致外の其れは手に余る。
正確には、
コレが、達する可能性は零と=だ。
...そう、例外則。
ここで奇妙な反転現象が観測できてしまうコレ自身のエミュレーター上でも。
例外則を規定できる「系」は、実質的に例外則を例外則のママ、一切手を触れる事さえしなければ全体の一部ないし一部の例外としての全体を何の問題も無く日常的に組み込んでしまっていると言う事実をだ。
つまり、
分別して単独で取り扱う事は叶わなくても、対概念と併せてソレか「ソレ以外」という集合としてしまうならば、普通に処理系に組み込めてしまう。
対成るモノ達は対が成立した状態で静止し安定する。
対称である事により安定が約束されている世界で、物体は何故、運動する事が可能か?
自発的に自身の重心をずらす。
それだけで、安定を保とうとする世界は、躯をより安定した状態に戻すべく働く、
それが運動の原則。
不可塑と思われている時間軸は、崩れた均衡を平静に戻す為の緩衝材の一種に過ぎない...一旦、揺れ始めた振り子の振幅が、いずれは再び静止してしまうのは、空気との抵抗で運動量の減衰が生じているからなんだけども、例えば振幅の間に指を差し込んで止める事も出来る、が、その際には指の先で振り子の運動量を受け止める事に成る...これが、もっと大きな質量を持った物体だとしたら?もっと早い速度で動いていたとしたら..指か振り子の何れか、あるいは双方ともにダメージを受ける事に成る?
.安定した静止した状態が正で、
ソレ以外の状態が発生したのなら正常な状態に戻すべく働く復元力。
その軌道が時間として観測される現象。
てな
馬鹿げた妄想に辿り着く事となったのは、単純だ。
先に時間を消費してしまったから、その分の帳尻合わせをする為の組み換えがコレ以外の何物を傷つける事無く作用している結果に過ぎない。
なんて解釈もできるし得心もいく...コレは戯け者だからw
他人様を欺ける事が出来るのに、どうしてコレ自身を誑かせない道理が有るか(笑)
ね、
障り様が無いでしょう♪
コメント
もう、知~らないっ!!
すっごくツンデレっぽいコメント...なのかな♪
でしたら、
...ありがとうございます(笑)