矛で剣を叩き折り、盾で鎧を切り刻む。
2010年1月18日コメント (2)人目に触れる可能性が発生した時点で(ん~っと、コレの場合は自我駄々洩れしている事が多いから...脳内妄想した時点辺りからかな...笑)書き連ねられた文言は、如何なる意図の基に解釈され流用されるかを想像できないのだったら(当然、その行為に由来するであろう不快感と違和感も含めて)無様に淘汰されるのは「理屈」だよなぁ^_^;
例えば、ほんの数十年前の焼け跡と今、紛争真っ只中の地域と、どちらが「より地獄」かなんて事は比べる事に何の意味も無いし(文字通り「当地の当事者」であったとしても「知らない事」を比べることは出来ないだろう...ただ「そうでは無い」という可能性を夢想する以外は)そんな目も当てられない惨状を態々広めて、何かがどうにか成るとでも?
己の立ち位置が、何処であろうとも見える範囲については、上も下もキリが無い事なんてのは前提以外の何者でも無い思ってるんだけどなぁ...でもないのか?
律はヒトが編み出した代物、理はヒトが群れる言い訳の一つとしかコレは認識し無いからねぇw
どれだけの数を相手に出来るかのみが、その有効性の物差しだと思ってる。
(出来るだけ多くのケースを網羅するものである方が望ましいんだろうけれども、最初から情状酌量の余地を残している点でコレの好みでないのが難だけども)
だぁから、
幾らでも穴は在るし、破る方法も在るし、でっち上げちまう事だって一切、問題だとは思わない。(それをして、より「善い」モノを目指すのも無視する者も、コレは、同時に両方の存在を「認める」立ち位置に居るという意味合いも含む)
上っ面だけでも謝罪を表に出来るのは、小マシだと思わないでもないが...悪かったり間違ったりしたという自覚は無いんだろうなぁ。
単純に、お小言を頂戴したのでバケツを両手にして廊下に立って見せてるってな図柄だよなぁ。
やんちゃな事には得体の知れない謀略の被害者である心算は変わらないみたいだし...時機を逸した言葉に(リアルタイムで週末は此方に居なかったと言うだけの言い訳)意味も価値も無ければ、反論の意義も無かろうけども(笑...い事ではなくなるから余分なことするなよぉ~)
一度、口から毀れた言葉は、償えないよ。
全く同じ気持ち、同じ景色を誰も再び手に入れる事が無い様に。
将棋とチェスの違いみたいなもの。
色も違えば、生き返ったりしない。
悪いんだけども、
更生の機会を与えるために必要なコストを計算する性分なんでねぇ。
(その分で、どれだけ「罪を犯していない」事になってる口が癒せるかってな単純計算...その意味では最低に無駄で無意義な罰としての「無期懲役」ってのが在ったっけか♪)
己が味わったことの無い痛みってのは想像はできるけど、与える事はできないけどねぇコレは。
まぁヒトは様々だわ。
コメント
(檻の代金と餌代まで廻されるのはご勘弁願いたいですしw)
...下世話な話でなんですが、
「額縁ショー」ってな演目もありましたねぇ(笑)