不憐
2010年2月2日
まずは己を。
まだ盆の上に居てしまっているのなら(少なくとも、そうとしか思えないのならば。)息をしているのなら
好もしいか否か、
中途なのか、終着点なのか、あるいは単なる途上に過ぎないのか。
何一つ理由にしない。
そして、目に映る凡てを...
因果律ってのは、在る。
ただねぇ時間軸の遡行は個体としてのヒトの記憶のレベルでしか糊塗できない。
(逆に言えば、歴史の改竄なんてのは当然。どれだけ多くの記録を現存させられるかという「後から」の行為で、どうにでもなる「お話」。それが国やら宗教といった具体的なヒトの形を取らないものであれ、家族とか己自身とか「知り合い」といった身近な存在であれ同義。)
正しいとか悪いとかってのは、単純に一つの骸の様々に生じるであろう投影面の一つを、これまた勝手な思い込みでヒトの個体が決めてるだけ。
リアルは一つなのにねぇ。
それも比較形でしか騙ることのできない多体性の感覚で輪郭をたどることは出来ても、それが何者なのかなんてヒトに判別できる筈も無い「何か」。
とりあえずコレには見分けをつける能力が無いから、量のみを図る。
(あ、この場合は必ず絶対値。0か否か、小数点も無ければ正負の符号も無し。速度を乗じれば力として認識できるモノにする)
力の在り様は、リアルな量で表現できる。
(適当だと思える単語は、既に何処かの誰か偉いヒトが使い分けてるから表現は「好きな」のを選んでくれて構わない)
ヒトの遣れる事なんて個体差の幅があるにした処で極めてシンプルだ。
(複雑で、どうにも成らないほど込み入っているようにしか思えないとしたら、それは見方の問題かなぁ)
リアルは何時でも現在、現時点での有りの侭。
そのほんの刹那を前後して、生きているヒトと喰われたヒトの二種類しかヒトのユニークな分別は、出来なくても「正しい」。
逃げ帰る「外側」なんて初めから無い。
救われるなんてな考えが、何処から沸いてくるのかは判らないがコレの関われる範囲の「お話」ではないなぁ。
まだ盆の上に居てしまっているのなら(少なくとも、そうとしか思えないのならば。)息をしているのなら
好もしいか否か、
中途なのか、終着点なのか、あるいは単なる途上に過ぎないのか。
何一つ理由にしない。
そして、目に映る凡てを...
因果律ってのは、在る。
ただねぇ時間軸の遡行は個体としてのヒトの記憶のレベルでしか糊塗できない。
(逆に言えば、歴史の改竄なんてのは当然。どれだけ多くの記録を現存させられるかという「後から」の行為で、どうにでもなる「お話」。それが国やら宗教といった具体的なヒトの形を取らないものであれ、家族とか己自身とか「知り合い」といった身近な存在であれ同義。)
正しいとか悪いとかってのは、単純に一つの骸の様々に生じるであろう投影面の一つを、これまた勝手な思い込みでヒトの個体が決めてるだけ。
リアルは一つなのにねぇ。
それも比較形でしか騙ることのできない多体性の感覚で輪郭をたどることは出来ても、それが何者なのかなんてヒトに判別できる筈も無い「何か」。
とりあえずコレには見分けをつける能力が無いから、量のみを図る。
(あ、この場合は必ず絶対値。0か否か、小数点も無ければ正負の符号も無し。速度を乗じれば力として認識できるモノにする)
力の在り様は、リアルな量で表現できる。
(適当だと思える単語は、既に何処かの誰か偉いヒトが使い分けてるから表現は「好きな」のを選んでくれて構わない)
ヒトの遣れる事なんて個体差の幅があるにした処で極めてシンプルだ。
(複雑で、どうにも成らないほど込み入っているようにしか思えないとしたら、それは見方の問題かなぁ)
リアルは何時でも現在、現時点での有りの侭。
そのほんの刹那を前後して、生きているヒトと喰われたヒトの二種類しかヒトのユニークな分別は、出来なくても「正しい」。
逃げ帰る「外側」なんて初めから無い。
救われるなんてな考えが、何処から沸いてくるのかは判らないがコレの関われる範囲の「お話」ではないなぁ。
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