他人様の庭石は、いつも青かった。
他人様の庭石は、いつも青かった。
羨ましい?
妬ましい?
憎い?
悔しい?
悲しい?
怖い?
辛い?
うん、普通は「負」の感情として取り扱われるべき代物なんだろうけども、コレには「怒り」と同様の瞬発力にしか思えない。
だって、
本来、誰も(少なくとも現在完了形で「死んで」いない限りにおいては)が可能性とか理論値上でのみ発揮し得る熱量の「見た目」の呼び方に過ぎないだろう。
コレなんかの存在の確率よりも圧倒的に明白に現実的だ。
むしろ、そう感じていると信じてしまえるほどの想いを目の当たりにできるのならば、口先三寸でチビケタ性根(とある信奉者たちは「魂」なんぞと呼びたがるみたいだが...笑)なんか三日坊主の馬鹿者にでも喰わして構わない。
なんだろうなぁ?
ショーの真っ最中に役者が演じているという「ありきたりな」台詞と芝居をしちまうような座りの悪さというか、どんな阿呆な脚本家でも尻まくって逃げ出したくなるようなヲチの付けようの無い竜頭蛇尾というか...
どんな方向を向いていようが力は力で、在る限りは如何なる多弁を重ねようとも微塵も敵い様が無い(そもそも別の概念だと定義したほうが良いと思うんだよねぇ、光るからといって線香花火と核兵器を一緒の取り扱いをしないように。まぁ、この場合に限るならば、どちらを使っても一人に対してなら同じ「効果」を与える事が可能だから絶対に間違ってるとは謂い難いんだけど)

何某かの感情が残ってるのならば、もう十分だろうに。
普通は、ソレを拠所にできる筈だ。
コレみたいに欲を満たす感覚そのものが擦り切れてないんだったら(^_^.)
時間潰しに他人の「何か」を掠めているという自覚なんて持たなくていい。
目の前から順番に片付ける以外の方法ってのは基本的に無い。
複雑に見えてしまってるのなら、見る方法そのものをずらせば大概のヒトゴトには「終」がある(...でないとしたら、それこそヒトデナシでも何でも召還してみるのも一興かも知れない、が、結果的に何かが変わったという記録は寡聞にして知らないけどw)

出来る事は出来るし、無理なものは無理。
顔の向き、足の着いてる(宙に舞っても引力からは逃れられない)場所なんて「後になって」仕舞えば、誤差の範疇で収まっちまう。
力任せでどうにかしたいなら、それも「在り」だし、趣味で選ばないというのも「在り」だろう?

手を止めて考える暇があるんだったら、その刹那こそが無駄。
(骸は想像以上に脆かったり剛かったりするのが常套なんだから無視しても影響は無い)手当たり次第と言うのは選択肢として結果的に常に「正しい」と思うヨ♪

コメント

kaj

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

この日記について

日記内を検索